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ケン・アスプロモンテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケン・アスプロモンテ
Ken Aspromonte
ロサンゼルス・エンゼルス時代
(1961年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
生年月日 (1931-09-22) 1931年9月22日(93歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 1950年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1957年9月2日
NPB / 1964年5月6日
最終出場 MLB / 1963年6月21日
NPB / 1966年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • クリーブランド・インディアンス (1972 - 1974)

ケネス・ジョセフ・アスプロモンテ(Kenneth Joseph Aspromonte、1931年9月22日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元プロ野球選手内野手)・監督

ヒューストン・アストロズなどでプレーし、広島東洋カープでコーチを務めたボブ・アスプロモンテ英語版は弟。

NPBでの登録名アスプロ

来歴・人物

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ラファイエット高校を経て、1950年ボストン・レッドソックスと契約。1957年メジャー初昇格。1958年シーズン途中にワシントン・セネタース(後のミネソタ・ツインズ)、1960年シーズン途中にクリーブランド・インディアンス1961年ロサンゼルス・エンゼルス、同年シーズン途中に再びインディアンス、1962年シーズン途中にミルウォーキー・ブレーブス1963年シカゴ・カブスと6球団を転々とした。

1964年NPB中日ドラゴンズに入団。主に遊撃手としてプレーするが、大人しい頭脳的なプレイヤーで、華麗な守備とチームバッティングで人気を博した[1]。シーズンでは規定打席には足りなかったが、打率.282の成績を残す。

しかし、翌1965年シーズン中のある試合で、2打席連続で三振を喫した際に、球審に激しく抗議しバットを放り投げ相手捕手を危うく殴りかける。さらに、ベンチへ戻って怒りが収まらず、椅子を蹴飛ばし冷水器をひっくり返す大暴れをした。その態度が監督の西沢道夫の逆鱗に触れ、同監督より交代させられ、以降もユニフォームを着ることを禁じられてしまう。後日、コーチのアドバイスを受け入れて、西沢の自宅を自ら訪れ謝罪したことから5万円の罰金(NPBの外国人選手として初めて支払った罰金でもある[1])を支払うことで復帰を許されたものの[2]、成績も伸び悩んだこともあり、同年限りで中日を解雇された。

1966年大洋ホエールズでプレーするが、大洋でも目立った成績を残せずに同年限りで退団・帰国した。

帰国後はメジャーリーグの各球団でスカウト、1969年から1971年までインディアンス傘下のマイナーチームの監督を務め、1972年から1974年までインディアンスの監督を務めた。インディアンス監督就任時の年俸は27,000ドルで、これは破格の安さだったとされる[3]。インディアンス監督時代には、日本独特の戦法とされる「偵察オーダー」を用いた打順を組むなどしていた。

監督退任後はラスベガスのクラブの総支配人や、ヒューストンでビール会社に勤務した[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1957 BOS 24 96 78 9 21 5 0 0 26 4 0 1 0 1 17 0 0 10 3 .269 .396 .333 .729
1958 6 19 16 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 3 0 0 1 1 .125 .263 .125 .388
WS2 92 282 253 15 57 9 1 5 83 27 1 1 2 1 25 1 1 28 10 .225 .296 .328 .624
'58計 98 301 269 15 59 9 1 5 85 27 1 1 2 1 28 1 1 29 11 .219 .294 .316 .610
1959 70 255 225 31 55 12 0 2 73 14 2 1 3 1 26 0 0 39 9 .244 .321 .324 .646
1960 4 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
CLE 117 521 459 65 133 20 1 10 185 48 4 1 4 3 53 0 2 32 11 .290 .364 .403 .767
'60計 121 524 462 65 133 20 1 10 185 48 4 1 4 3 53 0 2 33 11 .288 .362 .400 .762
1961 LAA 66 276 238 29 53 10 0 2 69 14 0 0 3 0 33 1 2 21 5 .223 .322 .290 .612
CLE 22 78 70 5 16 6 1 0 24 5 0 0 1 1 6 0 0 3 3 .229 .286 .343 .629
'61計 88 354 308 34 69 16 1 2 93 19 0 0 4 1 39 1 2 24 8 .224 .314 .302 .616
1962 20 35 28 4 4 2 0 0 6 1 0 0 0 1 6 1 0 5 0 .143 .286 .214 .500
MLN 34 88 79 11 23 2 0 0 25 7 0 1 0 2 6 0 1 5 6 .291 .341 .316 .657
'62計 54 123 107 15 27 4 0 0 31 8 0 1 0 3 12 1 1 10 6 .252 .325 .290 .615
1963 CHC 20 38 34 2 5 3 0 0 8 4 0 0 0 0 4 1 0 4 1 .147 .237 .235 .472
1964 中日 101 355 316 35 89 14 1 12 141 42 1 3 0 4 35 0 0 25 11 .282 .349 .446 .795
1965 78 277 254 27 65 19 1 8 110 38 0 1 0 4 16 1 3 17 8 .256 .303 .433 .736
1966 大洋 116 396 373 34 103 20 0 11 156 40 1 1 1 3 17 1 2 32 11 .276 .309 .418 .727
MLB:7年 475 1691 1483 171 369 69 3 19 501 124 7 5 13 10 179 4 6 149 49 .249 .330 .338 .668
NPB:3年 295 1028 943 96 257 53 2 31 407 120 2 5 1 11 68 2 5 74 30 .273 .321 .432 .753

年度別守備成績

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一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS) 左翼(LF)




























































1957 BOS - 24 46 65 4 14 .965 - - -
1958 - 6 13 7 1 3 .952 - - -
WS2 - 72 139 184 12 49 .964 11 6 13 0 1 1.000 1 1 0 0 0 1.000 -
'58計 - 78 152 191 13 52 .963 11 6 13 0 1 1.000 1 1 0 0 0 1.000 -
1959 1 10 0 0 0 1.000 52 101 137 10 25 .960 - 12 15 27 3 5 .933 1 1 0 0 0 1.000
1960 CLE - 80 192 215 10 63 .976 36 46 53 12 8 .892 - -
1961 LAA - 62 156 196 11 55 .970 - - -
CLE - 21 29 50 3 8 .963 - - -
'61計 - 83 185 246 14 63 .969 - - -
1962 - 6 10 6 0 2 1.000 3 3 5 1 1 .889 - -
MLN - 12 24 29 0 6 1.000 6 9 12 1 1 .955 - -
'62計 - 18 34 35 0 8 1.000 9 12 17 2 2 .935 - -
1963 CHC 2 5 1 0 0 1.000 7 14 25 2 4 .951 - - -
MLB 3 15 1 0 0 1.000 342 724 914 53 229 .969 56 64 83 14 11 .913 13 16 27 3 5 .935 1 1 0 0 0 1.000

年度別監督成績

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年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 勝率
1972 CLE 5位 156 72 84 .462
1973 6位 162 71 91 .438
1974 4位 162 77 85 .475
MLB:3年 480 220 260 .458

記録

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NPB

背番号

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  • 7 (1957年 - 1958年途中)
  • 4 (1958年途中 - 1960年途中、1964年 - 1965年)
  • 2 (1960年途中 - 同年終了、1961年途中 - 1962年途中、1972年 - 1974年)
  • 11 (1961年 - 同年途中)
  • 25 (1962年途中 - 同年終了)
  • 12 (1963年 - 同年途中)
  • 15 (1963年途中 - 同年終了)
  • 3 (1966年)

脚注

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  1. ^ a b 新宮正春著『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』493頁、講談社、1999年5月15日
  2. ^ 『菊とバット 完全版』248頁
  3. ^ 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』383頁
  4. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、13ページ

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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