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ジョー・ゴードン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョー・ゴードン
Joe Gordon
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 1915年2月18日
没年月日 (1978-04-14) 1978年4月14日(63歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1936年
初出場 1938年4月18日 ボストン・レッドソックス
最終出場 1950年9月30日 デトロイト・タイガース
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴:

監督・コーチ歴:

殿堂表彰者
選出年 2009年
得票率 83.33%
選出方法 ベテランズ委員会選出

ジョゼフ・ローウェル・ゴードンJoseph Lowell Gordon1915年2月18日 - 1978年4月14日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手二塁手)。右投右打。

ニックネームは"Flash"(フラッシュ)。1930~1940年代のヤンキースの名二塁手で、1942年のアメリカンリーグ最優秀選手。ワールドシリーズ6度出場、オールスターゲームに9度選出された。

経歴

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オレゴン大学出身。1936年シーズン前にヤンキースと契約、1938年シーズン当初からレギュラー二塁手として出場した。1年目は打率.255ながら25本塁打、97打点と長打力と勝負強さを見せ、この年のワールドシリーズでは本塁打1本を含む6打点を挙げた。2年目の1939年にはオールスターゲームに初めて選出された。この年は28本塁打、111打点、守備では刺殺数・補殺数・併殺数いずれもリーグ最多を記録するという攻守にわたる活躍だった。ゴードンが二塁手になった1938年からヤンキースは1941年までワールドシリーズを3度制覇、1942年はセントルイス・カージナルスにワールドシリーズで屈するものの、ゴードンはこの年打率.322、103打点を記録、また守備ではリーグ最多の121もの併殺を取り、この年のアメリカンリーグ最優秀選手に選ばれる[1]

ヤンキースには1944年から1945年の戦争による現役の中断を挟んで1946年まで在籍したが、同年アーリー・レイノルズとのトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍する。インディアンスでは1948年に自己最多の32本塁打と124打点を記録し、この年5度目のワールドシリーズ制覇を経験することとなる。

1950年を最後に現役を引退、その後1956年にデトロイト・タイガースのコーチを1年務め、1958年にインディアンスの監督に就任する。監督としてのゴードンは1959年にインディアンスをリーグ2位まで押し上げたが、1960年シーズン中にタイガースのジミー・ダイクスとの『監督同士のトレード』が成立、この年のシーズン後半はタイガースの指揮をとった。

1969年のカンザスシティ・ロイヤルズを最後に監督業を退き、1978年にカリフォルニア州サクラメントで死去。2008年12月に行われたアメリカ野球殿堂のベテランズ委員会投票で選出され、2009年アメリカ野球殿堂入りした。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1938 NYY 127 519 458 83 117 24 7 25 230 97 11 3 3 -- 56 -- 3 72 -- .255 .340 .502 .843
1939 151 648 567 92 161 32 5 28 287 111 11 10 4 -- 75 -- 2 57 15 .284 .370 .506 .876
1940 155 677 616 112 173 32 10 30 315 103 18 8 6 -- 52 -- 3 57 12 .281 .340 .511 .851
1941 156 665 588 104 162 26 7 24 274 87 10 9 1 -- 72 -- 4 80 16 .276 .358 .466 .824
1942 147 625 538 88 173 29 4 18 264 103 12 6 7 -- 79 -- 1 95 22 .322 .409 .491 .900
1943 152 649 543 82 135 28 5 17 224 69 4 7 7 -- 98 -- 2 75 18 .249 .365 .413 .778
1946 112 431 376 35 79 15 0 11 127 47 2 5 2 -- 49 -- 4 72 14 .210 .308 .338 .645
1947 CLE 155 626 562 89 153 27 6 29 279 93 7 3 1 -- 62 -- 1 49 16 .272 .346 .496 .842
1948 144 633 550 96 154 21 4 32 279 124 5 2 3 -- 77 -- 3 68 16 .280 .371 .507 .879
1949 148 633 541 74 136 18 3 20 220 84 5 6 4 -- 83 -- 4 33 20 .251 .355 .407 .762
1950 119 429 368 59 87 12 1 19 158 57 4 1 3 -- 56 -- 2 44 10 .236 .340 .429 .770
通算:11年 1566 6535 5707 914 1530 264 52 253 2657 975 89 60 41 -- 759 -- 29 702 159 .268 .357 .466 .822
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰 

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  • シーズンMVP:1942年
  • サイクル安打:1940年9月8日
  • 補殺数(二塁手)リーグ最多:1939, 1940, 1943, 1947年
  • 併殺数(二塁手)リーグ最多:1939, 1941, 1942年
  • ワールドシリーズ出場:6回(1938, 1939, 1941-1943, 1948年)
  • オールスターゲーム選出:9回(1939-1943, 1946-1949年)

監督としての戦績

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※順位は年度最終順位



















1958 CLE AL 86 46 40 .535 4位 6月27日~
1959 154 89 65 .578 2位
1960 95 49 46 .516 4位 ~8月2日
DET 57 26 31 .456 6位 8月5日~
1961 KCA 60 26 33 .441 4位 ~6月18日
1969 KCR AL West 163 69 93 .426 4位
通算成績 615 305 308 .498

出典

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関連項目

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出典・外部リンク

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