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ラリー・パリッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラリー・パリッシュ
Larry Parrish
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ポーク郡
生年月日 (1953-11-10) 1953年11月10日(70歳)
身長
体重
190 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手外野手一塁手
プロ入り 1972年
初出場 MLB / 1974年9月6日
NPB / 1989年4月8日
最終出場 MLB / 1988年10月2日
NPB / 1990年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ラリー・アルトン・パリッシュLarry Alton Parrish1953年11月10日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手内野手[1]

経歴

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MLBでは通算256本塁打を記録。モントリオール・エクスポズ時代の1978年7月30日の対アトランタ・ブレーブス戦では3・4・5回と3イニング連続本塁打を記録している[2]

1989年にパワーの面で期待されNPBヤクルトスワローズに入団。同年は42本塁打、103打点をマークし本塁打王のタイトルを獲得、ベストナインに選出される。しかし三振も多く、池山隆寛広沢克己と3人揃って「100三振トリオ」と呼ばれた。三振した後、ベンチで暴れる事もあったため、ストレス解消のための「ラリー君人形」なるサンドバッグが置いてあった。そのため、1989年オフに監督に就任したばかりの野村克也は「確実性のない奴はいらない」と三振の多いパリッシュの打撃を嫌い、本塁打王を獲得しながらヤクルトを自由契約となる。セシル・フィルダーが退団して代役を探していた阪神タイガースが獲得。

1990年シーズン序盤から前年の本塁打王の貫禄を見せ付け、本塁打を量産。同年にはオールスターゲームにも出場した。ところが、8月に古傷の膝が悪化してしまい、その時点でホームラン王争いで単独トップに立っていたのにも係わらず、8月27日の試合を最後に突然引退し物議を醸した[3]

当時の読売ジャイアンツのエースだった斎藤雅樹を大の苦手としており、2年間で斎藤相手に打率.094(32打数3安打)、0本塁打、19三振であり特に斎藤のカーブに翻弄されていた。池山曰く、斎藤が先発と聞くと「いやだ、いやだ」と顔をしかめていたくらい苦手意識を持っていたことを著書で明かしている。1989年9月24日の試合では斎藤の先発が予想されたため、パリッシュの代わりに4番ファーストに偵察メンバーが置かれ、先発が斎藤と分かると杉浦享に交代した(この試合はその杉浦のタイムリーで1-0で勝利した)。阪神移籍後の1990年6月15日と8月19日の対巨人戦でも、斎藤の先発ということで欠場している。一方で斎藤のカーブを打ちたい意欲は失って無く、4月20日の対戦ではストライクからボールになるカーブは尽く見逃し打者有利のカウントまで持っていった、その時解説の江川卓は「ここまで翻弄されていたカーブを打たないとパリッシュも気が収まらない」とまで解説し斎藤はその後外のボールになるカーブを連投し四球となった。その際パリッシュも憮然とバットを投げ捨て走りながら斎藤に何かを叫んでいた様子も中継放送に乗っていた。

引退後は、デトロイト・タイガース傘下のA級ナイアガラフォールズ、AA級ジャクソンビルの監督などを経て、1997年にデトロイト・タイガースのベンチコーチに就任。1998年シーズン途中にバディ・ベルに代わり監督に就任し、1999年まで指揮を執った(1999年に在籍した選手に木田優夫がいる)。2003年からAAA級トレドの監督となり、2005年2006年にはチームを2年連続でリーグ優勝に導いた。また、2007年には惜しくもリーグ優勝は逃すものの地区優勝は達成し、地区優勝3連覇を成し遂げた。

2011年は、アトランタ・ブレーブスで打撃コーチを務めた。

人物

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ヤクルト入団会見で好きな食べ物を聞かれて、「フロリダでは普通に食べるワニの肉だ」と答え、「ワニを食べる男」として話題になった[4]。結局探し回って東京都内に1軒だけワニ肉を提供する店があり、そこでスタミナを付けた。2015年にマイナーリーグ視察の木田優夫が3A監督のパリッシュと再会し、「人の事言えないけど、太りましたね」とその様子をイラストにしている[5]

阪神戦での乱闘騒ぎ

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1989年の5月31日の対阪神タイガース戦での6回裏、阪神の渡辺伸彦がパリッシュに死球を与え、パリッシュが渡辺に激怒したことから両軍入り乱れての乱闘騒ぎになり、パリッシュは暴力行為で退場処分となった。更に、渡辺が今度は中西親志に危険球を投じたことでもう一度乱闘が発生し、渡辺は危険球で退場になった(中西は退場にならず)。

これには、3回裏にパリッシュが捕逸で生還する際にベースカバーに入った岡部憲章をスライディングで負傷退場させた伏線があった。

1990年、パリッシュは阪神に移籍し、渡辺とキャンプで握手して仲直りした。5月1日の対ヤクルト戦でプロ初勝利を挙げるが、この試合でパリッシュが本塁打を放ち渡辺の勝利に貢献している[6]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974 MON 25 79 69 9 14 5 0 0 19 4 0 0 2 0 6 2 2 19 1 .203 .286 .275 .561
1975 145 573 532 50 146 32 5 10 218 65 4 5 7 2 28 5 4 74 14 .274 .314 .410 .724
1976 154 593 543 65 126 28 5 11 197 61 2 6 1 6 41 2 2 91 13 .232 .285 .363 .648
1977 123 449 402 50 99 19 2 11 155 46 2 4 3 3 37 9 4 71 11 .246 .314 .386 .699
1978 144 560 520 68 144 39 4 15 236 70 2 3 5 1 32 9 2 103 19 .277 .321 .454 .775
1979 153 595 544 83 167 39 2 30 300 82 5 1 7 1 41 11 2 101 8 .307 .357 .551 .909
1980 126 501 452 55 115 27 3 15 193 72 2 6 1 8 36 6 4 80 12 .254 .310 .427 .737
1981 97 385 349 41 85 19 3 8 134 44 0 0 5 3 28 2 0 73 10 .244 .297 .384 .681
1982 TEX 128 478 440 59 116 15 0 17 182 62 5 2 0 4 30 0 4 84 12 .264 .314 .414 .727
1983 145 613 555 76 151 26 4 26 263 88 0 0 0 9 46 8 3 91 20 .272 .326 .474 .800
1984 156 664 613 72 175 42 1 22 285 101 2 4 0 3 42 7 6 116 20 .285 .336 .465 .801
1985 94 382 346 44 86 11 1 17 150 51 0 2 0 2 33 2 1 77 13 .249 .314 .434 .748
1986 129 524 464 67 128 22 1 28 236 94 3 1 0 6 52 7 2 114 16 .276 .347 .509 .856
1987 152 613 557 79 149 22 1 32 269 100 3 1 0 4 49 7 3 154 10 .268 .328 .483 .811
1988 68 273 248 22 47 9 1 7 79 26 0 0 0 3 20 2 2 79 4 .190 .253 .319 .571
BOS 52 168 158 10 41 5 0 7 67 26 0 1 0 1 8 0 1 32 4 .259 .298 .424 .722
'88計 120 441 406 32 88 14 1 14 146 52 0 1 0 4 28 2 3 111 8 .217 .270 .360 .629
1989 ヤクルト 130 538 493 75 132 17 1 42 277 103 2 1 0 5 34 8 6 129 20 .268 .320 .562 .892
1990 阪神 105 432 381 56 95 14 1 28 195 80 0 1 0 3 44 3 4 98 14 .249 .331 .512 .843
MLB:15年 1891 7450 6792 850 1789 360 33 256 2983 992 30 36 31 56 529 79 42 1359 187 .263 .318 .439 .757
NPB:2年 235 970 874 131 227 31 2 70 472 183 2 2 0 8 78 11 10 227 34 .260 .325 .540 .865
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

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年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 勝率
1998 DET 5位 25 13 12 .520
1999 3位 161 69 92 .429
通算:2年 186 82 104 .441
  • 順位は最終順位

タイトル

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NPB

表彰

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NPB

記録

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MLB
NPB

背番号

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  • 50 (1974年 - 1975年途中)
  • 15 (1975年途中 - 1981年、1983年 - 1988年途中、1989年、1997年 - 1999年)
  • 9 (1982年)
  • 25 (1988年途中 - 同年終了、2011年)
  • 45 (1990年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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