コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

トニー・ペーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・ペーニャ
Tony Peña
ヤンキースでのコーチ時代
(2017年9月5日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 モンテ・クリスティ州
生年月日 (1957-06-04) 1957年6月4日(67歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
181 lb =約82.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1975年 アマチュアFA
初出場 1980年9月1日
最終出場 1997年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

アントニオ・フランシスコ・ペーニャ・パディーヤAntonio Francisco Pena Padilla, 1957年6月4日 - )は、ドミニカ共和国モンテ・クリスティ州出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。

経歴

[編集]

現役時代

[編集]

1975年ピッツバーグ・パイレーツと契約してプロ入り。1980年9月1日にメジャーデビュー。持ち前の強肩と粘り強い打撃で、1981年には66試合に出場し、規定打席不足も打率.300をマーク。

1982年には打率.296・11本塁打・63打点の活躍でオールスター初選出を果たす(通算5回選出)。1983年には打率3割(.301)をマーク。同年、初のゴールドグラブ賞を受賞(以後、3年連続を含む4回受賞)。1980年代半ば頃のパイレーツは、毎年最下位争いをする弱いチームで、チームの財政状況も悪化し、高年俸のベテラン選手を次々と放出。その中で活躍を続けた。

1986年オフにはデーブ・ジョンソン監督率いるメジャーリーグオールスターの一員として来日。当初、捕手は3人の来日が予定されていたが、ゲイリー・カーターがキャンセルし、来日後2戦目でリッチ・ゲドマンが負傷して帰国したため、以後の試合を一人でマスクをかぶり続け、打っても2本塁打の活躍でMVPを受賞。落合博満(当時ロッテ)を、座ったまま二塁に送球して牽制アウトにしたプレーで、日本のファンを唸らせた。

1987年開幕直前にアンディ・バンスライクら3選手とのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した。この年は故障もあって116試合、打率.214にとどまったが、自身初のワールドシリーズ出場を果たす。敗れはしたが、ミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは43打数17安打(打率.395)、4打点を記録。以後、(出場試合の少ないシーズンを除いて)フルシーズンの打率が.263を越えることはなかったが、1993年まではコンスタントに出場を続ける。

1990年にはボストン・レッドソックスへ移籍した。1991年には6年ぶりにゴールドグラブ賞を受賞。1994年にはクリーブランド・インディアンスへ移籍した。出場機会は減ったがここぞという場面では貴重な存在で、1995年ア・リーグチャンピオンシップシリーズ第1戦では、前所属球団のレッドソックス相手に決勝本塁打を打ち、チームを38年ぶりのワールドシリーズに導いた。1997年シカゴ・ホワイトソックス、さらにヒューストン・アストロズでプレーし、この年を最後に現役を引退した。

引退後

[編集]

祖国ドミニカのウインターリーグで監督を務め、2度優勝し、2001年にはカリビアンシリーズ優勝を果たす。

カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2004年8月8日)

アストロズのコーチを務めていた2002年途中にトニー・ミューサー(元西武)の後を受けてカンザスシティ・ロイヤルズの監督に就任。

2003年、戦力の劣るチームで前半戦を首位で折り返す、結局83勝79敗で3位に終わったが、リーグの最優秀監督賞を受賞。

しかし2004年は104敗を喫して最下位に沈み、2005年5月10日に解任された。解任の時点で8勝25敗で、これは開幕から33試合に限ればア・リーグのワースト記録(開幕から21連敗した1988年ボルチモア・オリオールズよりも下)であった。

2005年11月3日にニューヨーク・ヤンキースの一塁コーチに就任[1]

2008年11月13日にヤンキースのベンチコーチに異動した[2]

2013年3月に開催された第3回WBCドミニカ代表監督を務め、母国を優勝に導いた[3]

2015年1月12日にヤンキースの一塁コーチに異動し[4]2017年まで務めた。

2017年開幕前の3月に開催された第4回WBCドミニカ共和国代表監督を務め、2大会連続で務めた。

家族

[編集]

弟のラモン・ペーニャ英語版1989年デトロイト・タイガースで投手として8試合に登板している。なお、ピッチャーのトニー・ペーニャの本名はラモン・アントニオ・ペーニャだが、本稿のトニー・ペーニャの息子でもラモン・ペーニャの息子でもない。

息子のトニー・ペーニャ・ジュニア遊撃手)、フランシスコ・ペーニャ捕手)もメジャーリーガーである。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1980 PIT 8 21 21 1 9 1 1 0 12 1 0 1 0 0 0 0 0 4 1 .429 .429 .571 1.000
1981 66 223 210 16 63 9 1 2 80 17 1 2 2 2 8 2 1 23 4 .300 .326 .381 .707
1982 138 523 497 53 147 28 4 11 216 63 2 5 3 2 17 3 4 57 17 .296 .323 .435 .758
1983 151 580 542 51 163 22 3 15 236 70 6 7 6 1 31 8 0 73 13 .301 .338 .435 .773
1984 147 592 546 77 156 27 2 15 232 78 12 8 4 2 36 5 4 79 14 .286 .333 .425 .758
1985 147 587 546 53 136 27 2 10 197 59 12 8 7 5 29 4 0 67 19 .249 .284 .361 .645
1986 144 565 510 56 147 26 2 10 207 52 9 10 0 1 53 6 1 69 21 .288 .356 .406 .762
1987 STL 116 425 384 40 82 13 4 5 118 44 6 1 2 2 36 9 1 54 19 .214 .281 .307 .589
1988 149 546 505 55 133 23 1 10 188 51 6 2 3 4 33 11 1 60 12 .263 .308 .372 .680
1989 141 464 424 36 110 17 2 4 143 37 5 3 2 1 35 19 2 33 19 .259 .318 .337 .655
1990 BOS 143 540 491 62 129 19 1 7 171 56 8 6 2 3 43 3 1 71 23 .263 .322 .348 .670
1991 141 512 464 45 107 23 2 5 149 48 8 3 4 3 37 1 4 53 23 .231 .291 .321 .612
1992 133 450 410 39 99 21 1 1 125 38 3 2 13 2 24 0 1 61 11 .241 .284 .305 .589
1993 126 347 304 20 55 11 0 4 78 19 1 3 13 3 25 0 2 46 12 .181 .246 .257 .502
1994 CLE 40 126 112 18 33 8 1 2 49 10 0 1 3 2 9 0 0 11 6 .295 .341 .438 .779
1995 91 279 263 25 69 15 0 5 99 28 1 0 1 0 14 1 1 44 9 .262 .302 .376 .679
1996 67 195 174 14 34 4 0 1 41 27 0 1 3 3 15 0 0 25 8 .195 .255 .236 .491
1997 CWS 31 76 67 4 11 1 0 0 12 8 0 0 0 1 8 0 0 13 3 .164 .250 .179 .429
HOU 9 22 19 2 4 3 0 0 7 2 0 0 0 1 2 0 0 3 0 .211 .273 .368 .641
'97計 40 98 86 6 15 4 0 0 19 10 0 0 0 2 10 0 0 16 3 .174 .255 .221 .476
MLB:18年 1988 7073 6489 667 1687 298 27 107 2360 708 80 63 68 38 455 72 23 846 234 .260 .309 .364 .673
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

[編集]


捕手(C) 一塁(1B) 三塁(3B) 右翼(RF)


























































1980 PIT 6 38 2 2 0 .952 0 8 6 2 .250 - - -
1981 64 286 41 5 10 .985 5 47 27 20 .426 - - -
1982 137 763 89 16 6 .982 10 137 80 57 .416 - - -
1983 149 976 90 9 9 .992 7 163 105 58 .356 - - -
1984 146 895 95 9 15 .991 6 158 95 63 .399 - - -
1985 146 922 100 12 9 .988 6 149 87 62 .416 1 3 2 0 0 1.000 - -
1986 139 810 99 18 13 .981 2 179 109 70 .391 4 14 0 0 0 1.000 - -
1987 STL 112 615 51 8 8 .988 14 98 71 27 .276 4 7 0 0 0 1.000 - 2 3 0 0 0 1.000
1988 142 777 70 5 8 .994 8 134 89 45 .336 3 19 2 1 1 .955 - -
1989 134 674 70 2 13 .997 5 136 90 46 .338 - - 1 1 0 0 0 1.000
1990 BOS 142 864 74 5 13 .995 6 145 99 46 .317 1 2 0 0 0 1.000 - -
1991 140 864 60 5 15 .995 5 121 81 40 .331 - - -
1992 132 786 57 6 12 .993 7 118 79 39 .331 - - -
1993 125 698 53 4 8 .995 5 83 52 31 .373 - - -
1994 CLE 40 209 17 1 2 .996 4 36 25 11 .306 - - -
1995 91 508 36 7 6 .987 6 86 68 18 .209 - - -
1996 67 336 27 3 6 .992 4 45 28 17 .378 - - -
1997 CWS 30 143 8 0 2 1.000 5 28 25 3 .107 - 1 0 0 0 0 ---- -
HOU 8 48 6 0 1 1.000 0 9 8 1 .111 - - -
'97計 38 191 14 0 3 1.000 5 37 33 4 .108 - 1 0 0 0 0 ---- -
MLB 1950 11212 1045 117 156 .991 105 1880 1224 656 .349 13 45 4 1 1 .980 1 0 0 0 0 ---- 3 4 0 0 0 1.000

年度別監督成績

[編集]
















順位/
チーム数


2002年 KC AL 中 45歳 126 49 77 .389 4 / 5 順位は最終順位
2003年 46歳 162 83 79 .512 3 / 5 最優秀監督
2004年 47歳 162 58 104 .358 5 / 5   
2005年 48歳 33 8 25 .242 5 / 5 順位は最終順位 
MLB:4年 483 198 285 .410    

表彰

[編集]

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 6(1980年 - 1986年、1990年 - 1993年、2002年 - 2005年)
  • 26(1987年 - 1989年)
  • 17(1994年 - 1996年)
  • 29(1997年 - 同年途中)
  • 4(1997年途中 - 同年終了)
  • 56(2006年 - 2017年)

代表での監督歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Yankees name Tony Pena first-base coach”. MLB.com Yankees Press Release (November 3, 2005). January 10, 2014閲覧。
  2. ^ New York Yankees announce 2009 coaching staff”. MLB.com Yankees Press Release (November 13, 2008). January 10, 2014閲覧。
  3. ^ ドミニカ共和国が初の世界一 日刊スポーツ 2013年3月20日閲覧
  4. ^ Yankees announce coaches for the 2015 Season; Name Jeff Pentland, Joe Espada and Alan Cockrell to staff”. MLB.com Yankees Press Release (January 12, 2015). January 13, 2015閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]