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チャールズ・ジョンソン (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャールズ・ジョンソン
Charles Johnson
2018年6月10日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州セントルーシー郡フォートピアース英語版
生年月日 (1971-07-20) 1971年7月20日(53歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1992年 MLBドラフト1巡目
初出場 1994年5月6日
最終出場 2005年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1992年

チャールズ・エドワード・ジョンソン・ジュニアCharles Edward Johnson, Jr., 1971年7月20日 - )は、 アメリカ合衆国フロリダ州セントルーシー郡フォートピアース英語版出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。

MLBで12年間プレーし、ゴールドグラブ賞4度の実績がある。

通算493本塁打のフレッド・マグリフ従兄弟にあたる[1]

経歴

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高校の野球コーチをしていた父に幼少期から英才教育を受けた。父の教え子で従兄弟テリー・マグリフ英語版に影響を受け、捕手を志す[1]

1989年1989年のMLBドラフト1巡目(全体10位)でモントリオール・エクスポズから指名されるが、入団せずにマイアミ大学へ進学した。大学在学中の1991年から2年連続で日米大学野球選手権のアメリカ合衆国代表に選ばれている[2][3]

1992年バルセロナオリンピック野球アメリカ合衆国代表として出場した。この年6月のMLBドラフト1巡目(全体28位)で地元の新設球団フロリダ・マーリンズから指名され、プロ入り[1]

1994年5月6日フィラデルフィア・フィリーズ戦で「6番・捕手」として先発出場し、メジャーデビューを果たした。1995年から正捕手の座を掴み、1998年まで4年連続でナショナルリーグゴールドグラブ賞を受賞した。1997年には123試合、1076.2回にマスクを被り、失策0であった[1]

1998年5月15日マイク・ピアッツァがマーリンズに移籍する2対4の大型トレードが成立し、ジョンソンはゲイリー・シェフィールドら3名と共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。

1999年からはボルチモア・オリオールズに移籍。2000年はオリオールズとホワイトソックスで打率.304、31本塁打、94打点と自己最高の打撃成績を記録。その後、再びマーリンズ、コロラド・ロッキーズタンパベイ・デビルレイズと渡り歩き、2005年を最後に現役を引退した。12年間の通算盗塁阻止率は39.3%。

近年は非常に少なくなったアフリカ系アメリカ人の捕手であり、レニー・ウェブスター英語版が2000年に引退してからはジョンソンが唯一のアフリカ系アメリカ人捕手だった。ジョンソンの引退後、MLBにアフリカ系アメリカ人の捕手はなかなか登場せず[4]2016年ブルース・マックスウェル[注 1]がメジャーデビューするまで10年間不在だった[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1994 FLA 4 13 11 5 5 1 0 1 9 4 0 0 0 1 1 0 0 4 1 .455 .462 .818 1.280
1995 97 371 315 40 79 15 1 11 129 39 0 2 4 2 46 2 4 71 11 .251 .351 .410 .761
1996 120 435 386 34 84 13 1 13 138 37 1 0 2 4 40 6 2 91 20 .218 .292 .358 .649
1997 124 484 416 43 104 26 1 19 189 63 0 2 3 2 60 6 3 109 13 .250 .347 .454 .802
1998 31 130 113 13 25 5 0 7 51 23 0 1 0 1 16 0 0 30 3 .221 .315 .451 .767
LAD 102 376 346 31 75 13 0 12 124 35 0 1 0 0 29 1 1 99 9 .217 .279 .358 .638
'98計 133 506 459 44 100 18 0 19 175 58 0 2 0 1 45 1 1 129 12 .218 .289 .381 .670
1999 BAL 135 492 426 58 107 19 1 16 176 54 0 0 4 3 55 2 4 107 13 .251 .340 .413 .753
2000 84 320 286 52 84 16 0 21 163 55 2 0 1 1 32 0 0 69 8 .294 .364 .570 .934
CWS 44 158 135 24 44 8 0 10 82 36 0 0 0 2 20 0 1 37 0 .326 .411 .607 1.019
'00計 128 478 421 76 128 24 0 31 245 91 2 0 1 3 52 0 1 106 8 .304 .379 .582 .961
2001 FLA 128 496 451 51 117 32 0 18 203 75 0 0 0 3 38 2 4 133 8 .259 .321 .450 .771
2002 83 280 244 18 53 19 0 6 90 36 0 0 1 4 31 7 0 61 10 .217 .301 .369 .670
2003 COL 108 414 356 49 82 20 0 20 162 61 1 3 1 7 49 2 1 84 8 .230 .320 .455 .775
2004 109 362 305 42 72 20 0 13 131 47 2 1 2 1 49 1 5 91 6 .236 .350 .430 .780
2005 TB 19 55 46 5 9 4 0 0 13 5 0 0 0 0 9 0 0 11 2 .196 .327 .283 .610
MLB:12年 1188 4386 3836 465 940 211 4 167 1660 570 6 10 18 31 475 29 25 997 112 .245 .330 .433 .762

表彰

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記録

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背番号

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  • 23 (1994年 - 1998年途中、2001年 - 2004年)
  • 26 (1998年途中 - 同年終了)
  • 21 (1999年 - 2000年途中)
  • 8 (2000年途中 - 同年終了)
  • 24 (2005年)

代表歴

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  • 第20回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1991年)
  • 第21回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1992年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 父親は黒人、母親は白人である。

出典

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関連項目

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外部リンク

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