ケネス・カールセン
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ケネス・カールセン、2008年 | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | デンマーク | |||
出身地 | 同・コペンハーゲン | |||
生年月日 | 1973年4月17日(51歳) | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 88kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1992年 | |||
引退年 | 2007年 | |||
ツアー通算 | 3勝 | |||
シングルス | 3勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 306勝350敗 | |||
シングルス | 266勝288敗 | |||
ダブルス | 40勝62敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,990,980 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1993) | |||
全仏 | 2回戦(1993・95) | |||
全英 | 3回戦(1993・94・2004) | |||
全米 | 3回戦(1995) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 出場なし | |||
全仏 | 1回戦(2005) | |||
全英 | 1回戦(2004) | |||
全米 | 2回戦(2005) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 41位(1993年6月7日) | |||
ダブルス | 134位(2004年4月5日) | |||
ケネス・カールセン(Kenneth Carlsen, 1973年4月17日 - )は、デンマーク・コペンハーゲン出身の男子プロテニス選手。彼はATPツアーでシングルス3勝を挙げたが、その中には2002年ジャパン・オープン・テニス選手権男子シングルス優勝もある。自己最高ランキングはシングルス41位、ダブルス134位。左利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
来歴
[編集]9歳からテニスを始め、1992年にプロ入り。すぐに男子テニス国別対抗戦デビスカップデンマーク代表選手に選ばれ、同年のバルセロナ五輪でオリンピックに初出場を果たすが、シングルス・ダブルスともに1回戦敗退。9月末のクイーンズランド・オープンで初めて準優勝を果たした後、10月のセイコー・スーパー・テニスで初来日する。1993年全豪オープンで4大大会にデビューし、いきなりミヒャエル・シュティヒとの4回戦まで進出した。同年6月7日付で、彼は世界ランキング41位となり、ATPランキングで50位以内に入った最初のデンマーク人選手となった。この年は全般的に好調で、ウィンブルドン選手権でもセドリック・ピオリーンとの3回戦に進んでいる。しかし、彼の4大大会挑戦は決して順調ではなかった。
1996年アトランタ五輪で2度目のオリンピックに出場し、シングルス3回戦まで勝ち進んだ。1回戦でマーク・ノールズを、2回戦でジェイソン・ストルテンバーグを破って勝ち進んだ彼は、3回戦で当年度のウィンブルドン選手権準優勝者マラビーヤ・ワシントンに7-6, 0-6, 2-6で逆転負けした。デビスカップでは、デンマーク代表はしばらくの間最上位カテゴリーのワールドグループで1回戦敗退→ワールドグループ・プレーオフ勝利による残留を繰り返していたが、デビスカップ1996ワールドグループ・プレーオフでスペインに1勝4敗で敗れたため、デビスカップ1997からヨーロッパ・アフリカゾーンに転落してしまう。その後、デンマークはいまだワールドグループ復帰を実現させていない。
1998年4月、カールセンは香港オープンシングルス決勝でバイロン・ブラックを6-2, 6-0で破り、ここでツアー初優勝を果たした。これはデンマーク人の男子選手がATPツアーで獲得した最初のシングルスタイトルである。その後左肩の故障に悩み、2000年のシーズンを棒に振る。2度の手術で1年8ヶ月のブランクを経験し、2001年6月にようやくツアー復帰を果たした。2002年ジャパン・オープン・テニス選手権で、カールセンは決勝でマグヌス・ノーマンを7-6, 6-3で破り、4年ぶりのツアー2勝目を挙げた。この優勝により、カールセンは世界ランキングを65位まで戻した。2004年ウィンブルドン選手権で10年ぶり3度目の3回戦進出を果たす。2005年全米国際インドアテニス選手権決勝でマックス・ミルヌイを破り、ツアー3勝目を達成した。
2006年全仏オープン1回戦敗退を最後に、カールセンは4大大会の本戦出場から遠ざかる。2007年6月、彼は当年度限りでの現役引退を表明し、10月のストックホルム・オープンとデンマークのコルディングでのチャレンジャー大会を最後に、16年間の現役生活に終止符を打った。最後の年には、2003年以来4年ぶりのデビスカップに出場し、通算「40勝25敗 (シングルス29勝13敗、ダブルス11勝12敗)」の成績を残した。デビスカップデンマーク代表選手としての通算勝利数とシングルス勝利数は、クルト・ニールセン、トルベン・ウルリッヒに続くチーム歴代3位記録となった。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 7回 (3勝4敗)
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1992年9月28日 | ブリスベン | ハード (室内) | ギヨーム・ラウー | 4–6, 6–7(10) |
準優勝 | 2. | 1996年3月11日 | コペンハーゲン | カーペット (室内) | セドリック・ピオリーン | 2–6, 6–7(7) |
準優勝 | 3. | 1997年1月6日 | オークランド | ハード | ヨナス・ビョルクマン | 6–7(7), 0–6 |
優勝 | 1. | 1998年4月13日 | 香港 | ハード | バイロン・ブラック | 6–2, 6–0 |
準優勝 | 4. | 1999年7月5日 | ニューポート | 芝 | クリス・ウッドルフ | 7–6(5), 4–6, 4–6 |
優勝 | 2. | 2002年10月6日 | 東京 | ハード | マグヌス・ノーマン | 7–6(6), 6–3 |
優勝 | 3. | 2005年2月14日 | メンフィス | ハード (室内) | マックス・ミルヌイ | 7–5, 7–5 |
ダブルス: 3回 (0勝3敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1997年3月10日 | コペンハーゲン | カーペット (室内) | フレデリク・フェテレイン | アンドレイ・オルホフスキー ブレット・スティーブン |
4–6, 2–6 |
準優勝 | 2. | 1998年9月20日 | タシュケント | ハード | チャン・シャルケン | ステファノ・ペスコソリド ローレンス・ティレメン |
5–7, 6–4, 5–7 |
準優勝 | 3. | 2006年9月11日 | 北京 | ハード | ミヒャエル・ベラー | マリオ・アンチッチ マヘシュ・ブパシ |
4–6, 3–6 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 4R | 2R | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | A | A | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | LQ | 5–12 |
全仏オープン | A | 2R | 1R | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | A | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | LQ | 2–11 |
ウィンブルドン | A | 3R | 3R | 2R | 1R | 1R | 1R | A | A | 2R | 1R | 1R | 3R | 1R | LQ | LQ | 8–11 |
全米オープン | LQ | 1R | 1R | 3R | 2R | 2R | 1R | 2R | A | 1R | 2R | 2R | 1R | 1R | LQ | LQ | 7–12 |