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ゲンコツの海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲンコツの海
ジャンル テレビドラマ
脚本 長坂秀佳上条逸雄ほか
演出 斉藤秀夫ほか
出演者 渡辺篤史
泉晶子
児島美ゆきほか
オープニング 「海はいつでも」(渡辺篤史)
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 前田満州夫(国際放映)
制作 北日本放送国際放映
放送
放送チャンネル日本テレビ系列
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1973年1月10日 - 同年6月27日
放送時間水曜19:30 - 20:00
放送枠日本テレビ水曜7時30分枠連続ドラマ
放送分30分
回数25

特記事項:
吉田工業(現・YKK一社提供
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ゲンコツの海』(ゲンコツのうみ)は、1973年1月10日から同年6月27日まで日本テレビ系列の毎週水曜19:30 - 20:00(JST)に放送された、北日本放送制作のテレビドラマである。全25回。吉田工業(現・YKK)の一社提供

概要

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南海の島の小さな学校・海原高校にモーターボートで赴任した、新任教師・山中大助の物語[1][2][3]。海洋部の部長に就任した大助は、部活動を通じて生徒に接していく[4]

NNN系列の1つである北日本放送が制作した初のゴールデンタイム・全国ネットの番組。その関係で、東日本高等学校カッター選手権大会の開催地が氷見の海岸とされていたり[5][6]、劇中に実在の学校である富山商船高専が登場する[7]など、北日本放送の所在する富山県も度々舞台として登場した。

しかし前番組のアニメ『新・オバケのQ太郎』のイメージが強すぎ、更に1週遅れて開始した円谷プロ特撮番組『ジャンボーグA』(毎日放送制作・NET系列)[注 1]に人気を奪われて低迷した。

なお、日本テレビ系列の地方局制作(日本テレビ、読売テレビ中京テレビ以外)のゴールデンタイム(19・20時台)のレギュラー番組は2023年現在に至るまでこの1本のみである[8]

出演者

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ほか

ゲスト

ほか

スタッフ

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主題歌

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「海はいつでも」
作詞:山上路夫 / 作編曲:鈴木邦彦 / 歌:渡辺篤史

放映リスト

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話数 放送日 サブタイトル 脚本 監督
1 1973年
1月10日
先生、もえてるゥ!! 上条逸雄 下村堯二
2 1月17日 そのオールを拾え
3 1月24日 あわびの片思い
4 1月31日 オールと長髪 桜井康裕 新津左兵
5 2月7日 先生の血は赤い
6 2月14日 とび込んだ花嫁! 長坂秀佳 斉藤秀夫
7 2月21日 男の借りは体で返せ
8 2月28日 合宿はもぐりの訓練 桜井康裕 小山幹夫
9 3月7日 男はそこであきらめない
10 3月14日 カンニングとラブレター 長坂秀佳 新津左兵
11 3月21日 大地は友情を育てる
12 3月28日 貝は海の宝物 加瀬高之
13 4月4日 北の海に立つ男 桜井康裕
14 4月11日 飛び込んで来た応援団
15 4月18日 内ゲバ!?海洋部 長坂秀佳 小山幹夫
16 4月25日 出航!太陽とロマンの島へ
17 5月2日 オキナワ・初恋・恋仇
18 5月9日 恋のとりこオキナワ
19 5月16日 北の海から初恋が来る
20 5月23日 海を捨てた男の唄
21 5月30日 ピエロと孫悟空 新津左兵
22 6月6日 いざ、おれたちの舟を!
23 6月13日 目標!前方のオヤジ 小山幹夫
24 6月20日 鬼の目にナミダあり
25 6月27日 海のロメオとジュリエット 新津左兵

放送局

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中京テレビ:水曜 19:30 - 20:00(1973年5月2日 - 同年6月27日。ネット一本化に伴う移行)[22]

コミカライズ

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  • 「原案:国際放映/画:望月あきら」名義で、「少女フレンド」(講談社刊)に連載された。
  • 単行本は、1973年4月8日に第1巻、同年5月28日に第2巻が、それぞれ「講談社コミックス」から発売された(いずれも絶版。未文庫本化)。それぞれの表紙カバーには、ドラマの出演者が写されていた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 北日本放送の放送エリアである富山県ではNET系列局が所在しないため、富山テレビフジテレビ系列)が別時間帯にて遅れネットで放送していた。
  2. ^ 火曜日放送時は制作局よりも一日先行して、水曜19時放送時は30分先行してそれぞれ放送。
  3. ^ 広島県では、本放送当時、系列局の広島テレビがフジテレビ系列とのクロスネット局で、当該時間帯には『クイズグランプリ』・『スター千一夜』を放送していたため同時ネットできず、かつ他局も含めて遅れネットも行われなかったため、終了から4年後の1977年に広島ホームテレビ(テレビ朝日系列)が、再放送に準じる扱いで放送した。

出典

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  1. ^ 『社報復刻版』北日本放送、1983年9月20日、290頁。NDLJP:12275415/154 
  2. ^ 『社報復刻版』北日本放送、1983年9月20日、296頁。NDLJP:12275415/157 
  3. ^ 週刊TVガイド 1973年1月19日号 p.106 本作の紹介記事
  4. ^ 週刊TVガイド 1973年2月2日号 p.106 本作の紹介記事
  5. ^ 京都新聞 1973年4月4日付朝刊、テレビ欄での本作の紹介記事
  6. ^ 週刊TVガイド 1973年4月13日号 p.105 本作の紹介記事
  7. ^ a b 週刊TVガイド 1973年5月18日号 p.106 本作の紹介記事
  8. ^ なお、特別番組に関してはプロ野球ナイター中継広島 vs 巨人』が1985年まで広島テレビ主幹制作だった例がある。
  9. ^ a b c d 京都新聞 1973年1月10日付朝刊、20面テレビ欄での本作の紹介記事
  10. ^ 週刊TVガイド 1973年1月12日号 p.106 本作の紹介記事
  11. ^ a b c 週刊TVガイド 1973年4月20日号 p.110 本作の紹介記事
  12. ^ 週刊TVガイド 1973年2月9日号 p.106 本作の紹介記事
  13. ^ a b 週刊TVガイド 1973年6月8日号 p.108 本作の紹介記事
  14. ^ a b 週刊TVガイド 1973年6月15日号 p.106 本作の紹介記事
  15. ^ 週刊TVガイド 1973年6月22日号 p.105 本作の紹介記事
  16. ^ a b 京都新聞 1973年5月9日付朝刊テレビ欄での本作の紹介記事
  17. ^ a b 『北國新聞』1973年6月6日付朝刊テレビ欄より。
  18. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)3月、テレビ欄。
  19. ^ a b c d e f 『河北新報』1973年4月4日 - 4月25日付朝刊、テレビ欄。
  20. ^ 新潟日報』1973年7月テレビ欄。
  21. ^ 静岡新聞』1973年7月テレビ欄。
  22. ^ a b c 中日新聞』1973年1月9日 - 同年6月27日各日付朝刊テレビ欄。
  23. ^ 山陰中央新報』1973年6月テレビ欄。
  24. ^ 山陽新聞』1973年6月テレビ欄。
  25. ^ 中国新聞、1977年10月3日(月曜日)、テレビ・ラジオ欄
  26. ^ a b c 愛媛新聞』1973年6月テレビ欄。
  27. ^ 徳島新聞』1973年2月テレビ欄。
  28. ^ 『熊本日日新聞』1973年2月テレビ欄。
  29. ^ 大分合同新聞』1973年2月テレビ欄。
  30. ^ 熊本日日新聞』1973年7月テレビ欄。
  31. ^ 宮崎日日新聞』1973年7月テレビ欄。
日本テレビ系列 水曜19時台後半枠
【当番組のみ北日本放送制作枠、当番組よりドラマ
前番組 番組名 次番組
新・オバケのQ太郎
※ここまでNTV制作
およびアニメ
ゲンコツの海
守れ!ジャングル
※再びNTV制作