コンスタンス・ド・トゥールーズ
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コンスタンス・ド・トゥールーズ Constance de Toulouse | |
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ナバラ王妃 | |
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在位 | 1195年 - 1200年 |
出生 |
1180年ごろ |
死去 |
1260年5月12日 |
結婚 |
1195年(1200年離婚) 1200年以降 |
配偶者 | ナバラ王サンチョ7世 |
ピエール=ベルモン2世・ド・ソーヴ | |
子女 | 本文参照 |
家名 | トゥールーズ家 |
父親 | トゥールーズ伯レーモン6世 |
母親 | ベアトリス・ド・ベジエ |
コンスタンス・ド・トゥールーズ(フランス語:Constance de Toulouse, 1180年ごろ - 1260年5月12日)は、トゥールーズ伯レーモン6世とその2番目の妃ベアトリス・ド・ベジエの娘[1]。
1195年にナバラ王サンチョ7世と結婚したが、1200年に離婚した。その後、アンデューズ領主ピエール=ベルモン2世・ド・ソーヴと再婚した[1]。
2番目の夫との間に、以下の子女が生まれた。
- ピエール・ベルモン(1204年 - 1254年) - ソーヴ領主
- レーモン・ベルモン - フロラック男爵家祖
- ベルモン - ケラール男爵家祖
- ベアトリス - アルノー1世・ド・ロックファイユと結婚
- シビーユ - バラル1世・ド・ボーと結婚、アラゴン王フェルナンド2世の先祖の一人。娘セシルはサヴォイア伯アメデーオ4世と結婚した。
- マリー - ロマーニュ子爵およびアルマニャック伯アルノー・オドンと結婚
- 娘 - ユーグ・ド・ミラベルと結婚
脚注
[編集]- ^ a b William of Puylaurens 2003, p. 18.
参考文献
[編集]- William of Puylaurens (2003). The Chronicle of William of Puylaurens: The Albigensian Crusade and Its Aftermath. The Boydell Press