ゴロディシチェ (遺跡)
表示
ゴロディシチェ(ロシア語: Городище / 音写例:ガラディーッシ)とは、ロシア語で、防衛設備(一般的には土塁や堀)を備えた、都市[注 1]、城、領主の屋敷、聖堂などの居住地の遺構を意味する言葉である[2][3]。考古学的には銅器時代から近現代(16 - 17世紀)までの遺構を指す[4][5]。
ルーシ(ロシア・ウクライナ・ベラルーシ)の大規模なゴロディシチェは、デティネツ(内城)とそれを囲むオコリヌィー・ゴロド(ru)(直訳:周囲の都市)を、防衛設備内に有している。また、大抵の大規模なゴロディシチェには、防衛設備外にポサード(主に商工業者の居住地)の遺構が接しており、防衛設備外の遺構が、防衛設備内の遺構よりも広大なものもしばしばある。さらに、ゴロディシチェの付近では墓地の跡も原則的に認められる。A.クザ(ru)は、少なくとも2.5ヘクタール(25000㎡)以上のものをゴロディシチェとみなした[6]。一方、二重あるいは三重の土塁と堀を備えたキエフ・ルーシ期のゴロディシチェも存在するが、500から2000m2程度の規模である。また、これらは河川の合流地点や谷間を活用し、高所に位置するのが一般的である。
なお、ゴロディシチェという単語はルーシの年代記(レートピシ)中にも見ることができる。また、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの地名としても用いられている[注 2]。遺構のゴロディシチェに対し、日本語文献では都市遺跡[7]、遺跡[8]、城趾[9]などの訳語が当てられている。
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 栗生沢猛夫 「ロシア中世都市をめぐる若干の問題点―キエフ・ルーシにおける都市の発生とその史的展開について―」、史学雑誌88、1979年。p50
- ^ Анучин Д. Н. Городища // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ Срезневский, «О городищах в землях славянских» (1848).
- ^ Городища // Малый энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона. — 2-е изд., вновь перераб. и значит. доп. Т. 1-2. — СПб., 1907—1909.
- ^ Самоквасов, «Древние города России», 1873.
- ^ Моргунов Ю. Ю. Ещё раз о «полезной площади» городищ // Земли родной минувшая судьба... К юбилею Андрея Евгеньевича Леонтьева. Москва, 2018. С. 101.
- ^ NAUKA JAPAN
- ^ 中澤ほか 2018, p. 184.
- ^ 中澤ほか 2018, p. 183.
参考文献
[編集]- Авдусин Д. А. Археология СССР. М., 1977
- Авдусин Д. А. Полевая археология СССР. М., 1980
- Матюшин Г. Н. Археологический словарь. М., 1996
- Городище // Гермафродит — Григорьев. — М. : Большая российская энциклопедия(ロシア大百科事典), 2007.
- 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、181-279頁、CRID 1390572174764448768、doi:10.15099/00018264、hdl:10110/00018264、ISSN 03865975。