サッカーエリトリア代表
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国または地域 | エリトリア | |||
協会 | エリトリアサッカー連盟 | |||
愛称 | Red Sea Boys(紅海の少年たち) | |||
監督 | アレムセゲド・エフレム | |||
最多出場選手 | イッドネカチュー・シマンガス(22試合) | |||
最多得点選手 | ベルハナ・アレガイ(5得点) | |||
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初の国際試合 |
1994年11月29日対セーシェル 1-0 | |||
最大差勝利試合 |
2019年12月13日対ジブチ 3-0 2019年12月17日対ケニア 4-1 | |||
最大差敗戦試合 |
1999年2月28日対ガーナ 0-5 2007年3月25日対アンゴラ 1-6 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
アフリカネイションズカップ | ||||
出場回数 | 0回 | |||
サッカーエリトリア代表(サッカーエリトリアだいひょう)は、エリトリアサッカー連盟(ENFF)によって編成されるエリトリアのサッカーのナショナルチームである。ホームスタジアムは首都、アスマラにあるシセロ・スタジアム。
FIFAランキングからの除外
[編集]2020年1月に開催されたスーダンとの親善試合以降、2年以上国際Aマッチを戦っていない[1]。そのため2024年7月現在、FIFAランキングから唯一除外されている[2]。国外での試合を行えない理由は、代表選手が遠征を行った際にそのまま亡命するためである。2009年以来60人以上の選手が亡命を遂げたと推定されている[1]。
FIFAワールドカップの成績
[編集]エリトリアサッカー連盟設立 (1996年)以降について記述
アフリカネイションズカップの成績
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | |
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1957 | 不参加 | |||||||
1959 | ||||||||
1962 | ||||||||
1963 | ||||||||
1965 | ||||||||
1968 | ||||||||
1970 | ||||||||
1972 | ||||||||
1974 | ||||||||
1976 | ||||||||
1978 | ||||||||
1980 | ||||||||
1982 | ||||||||
1984 | ||||||||
1986 | ||||||||
1988 | ||||||||
1990 | ||||||||
1992 | ||||||||
1994 | ||||||||
1996 | ||||||||
1998 | ||||||||
2000 | 予選敗退 | |||||||
2002 | ||||||||
2004 | ||||||||
2006 | ||||||||
2008 | ||||||||
2010 | 棄権 | |||||||
2012 | 不参加 | |||||||
2013 | ||||||||
2015 | 棄権 | |||||||
2017 | 不参加 | |||||||
2019 | ||||||||
2021 | ||||||||
合計 | 0/33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
歴代選手
[編集]- ヘノク・ゴイトム 2015-
脚注
[編集]- ^ a b “エリトリア代表が北中米W杯アフリカ予選を辞退へ…終身兵役もある中で選手の亡命を危惧か”. 超ワールドサッカー!. 2024年9月8日閲覧。
- ^ Inc, SEESAW GAME (2024年7月25日). “FIFAランキング最新版|男子サッカー・日本代表|随時更新”. サッカーキング. 2024年9月8日閲覧。
- ^ ワールドカップアフリカ予選の試合日程と結果GOAL.com 2019年9月11日