システム10 (ゲーム機)
メーカー | エポック社 |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第1世代 |
発売日 | 1977年8月 |
コントローラ入力 | パドルコントローラ |
売上台数 | 20万台[1] |
前世代ハードウェア | テレビテニス |
次世代ハードウェア | カセットビジョン |
システム10(SYSTEM10)は、エポック社が1977年に発売した家庭向けテレビゲーム[2]。
概要
[編集]ラケットゲームと光線銃ゲームを合わせて10種類のゲームを内蔵。パドルが4つ付いており、ラケットゲームでは4人同時プレイ、またはラケットの2軸移動が行えた。付属の光線銃はドイツの大型拳銃モーゼルの形をしており、肩パッドのケースを付けることでライフル型にすることも出来た。販売価格は本体のみが9,800円、光線銃とACアダプター付きで15,000円[2]。後にカラーリングを変更して価格を下げた「システム10-M2」も発売された[3]。
ハードウェア
[編集]システム10のハードウェアはまだCPUが使われておらず、NECと共同開発した専用LSIで作られている[2]。同社が2年前に発売したテレビテニスは複数の電子部品(ディスクリート)を組み合わせて作られていたが、LSI化によって部品数を削減して高集積化することで、信頼性の向上と高機能化、低価格化の利点があった。一方で、機能をコンピュータプログラムではなくワイヤードロジックで実装しているため、CPUを使用する場合に比べて設計や変更は容易ではなく、商品化により多くの時間を要した[4]。
システム10の機能をコンピュータプログラムで実装した「スーパー10」も開発され、ほぼ完成までこぎつけたが商品化されなかった[4]。
内蔵ゲーム
[編集]移植作品
[編集]なし(カセットビジョンの『ビッグスポーツ12』は別物)。
反響
[編集]システム10の発売直前に任天堂から発売されたカラーテレビゲームは1万円を切る価格で同業者や市場に衝撃を与えた。システム10の開発中であったエポック社はコメントを控えていたが、結果的に本体のみのモデルはカラーテレビゲーム6と同じ価格で発売された[5]。
これにより日本の家庭用ゲーム機市場ではエポック社と任天堂が2大メーカーに成長したが、ブロックくずしやインベーダーブームによって業務用ゲームに人気が移ると、家庭用ゲーム機市場はいったん下火になった。エポック社は1981年発売のカセットビジョンで巻き返しを図ることになる[6]。
脚注
[編集]- ^ “テレビゲームの数”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人. 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b c 「国内短信:エポック社がテレビゲーム機と電子学習機を発売」『電子材料』第16巻第9号、工業調査会、1977年、15-16頁、ISSN 0387-0774。
- ^ コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.52.
- ^ a b “株式会社エポック社 堀江正幸氏インタビュー”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人. 2024年4月9日閲覧。
- ^ 志村, 幸雄「ビデオゲームは日本に定着するか」『マネジメント』第36巻第11号、日本能率協会、1977年、79-80頁、ISSN 0287-5799。
- ^ 「どれだけ売れるか注目集める「ビデオゲーム」の現状と問題点を探る」『企業と広告』第9巻第6号、チャネル、1983年、36-41頁、ISSN 0285-8746。
関連項目
[編集]- TV FUN - 同時期にトミー工業より発売されたテレビゲームシリーズ。
- TV JACK - 同時期にバンダイより発売されたテレビゲームシリーズ。
- カラーテレビゲーム15 - 同時期に任天堂より発売されたテレビゲーム。