コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

システム10 (ゲーム機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
システム10
メーカー エポック社
種別 据置型ゲーム機
世代 第1世代
発売日 1977年8月 (47年前) (1977-08)
コントローラ入力 パドルコントローラ
売上台数 日本の旗 20万台[1]
前世代ハードウェア テレビテニス
次世代ハードウェア カセットビジョン
テンプレートを表示

システム10SYSTEM10)は、エポック社が1977年に発売した家庭向けテレビゲーム[2]

概要

[編集]

ラケットゲームと光線銃ゲームを合わせて10種類のゲームを内蔵。パドルが4つ付いており、ラケットゲームでは4人同時プレイ、またはラケットの2軸移動が行えた。付属の光線銃はドイツの大型拳銃モーゼルの形をしており、肩パッドのケースを付けることでライフル型にすることも出来た。販売価格は本体のみが9,800円、光線銃とACアダプター付きで15,000円[2]。後にカラーリングを変更して価格を下げた「システム10-M2」も発売された[3]

ハードウェア

[編集]

システム10のハードウェアはまだCPUが使われておらず、NECと共同開発した専用LSIで作られている[2]。同社が2年前に発売したテレビテニスは複数の電子部品(ディスクリート)を組み合わせて作られていたが、LSI化によって部品数を削減して高集積化することで、信頼性の向上と高機能化、低価格化の利点があった。一方で、機能をコンピュータプログラムではなくワイヤードロジックで実装しているため、CPUを使用する場合に比べて設計や変更は容易ではなく、商品化により多くの時間を要した[4]

システム10の機能をコンピュータプログラムで実装した「スーパー10」も開発され、ほぼ完成までこぎつけたが商品化されなかった[4]

内蔵ゲーム

[編集]

移植作品

[編集]

なし(カセットビジョンの『ビッグスポーツ12』は別物)。

反響

[編集]

システム10の発売直前に任天堂から発売されたカラーテレビゲームは1万円を切る価格で同業者や市場に衝撃を与えた。システム10の開発中であったエポック社はコメントを控えていたが、結果的に本体のみのモデルはカラーテレビゲーム6と同じ価格で発売された[5]

これにより日本の家庭用ゲーム機市場ではエポック社と任天堂が2大メーカーに成長したが、ブロックくずしインベーダーブームによって業務用ゲームに人気が移ると、家庭用ゲーム機市場はいったん下火になった。エポック社は1981年発売のカセットビジョンで巻き返しを図ることになる[6]

脚注

[編集]
  1. ^ テレビゲームの数”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人. 2024年4月11日閲覧。
  2. ^ a b c 「国内短信:エポック社がテレビゲーム機と電子学習機を発売」『電子材料』第16巻第9号、工業調査会、1977年、15-16頁、ISSN 0387-0774 
  3. ^ コアムックシリーズNO.682『電子ゲーム なつかしブック』p.52.
  4. ^ a b 株式会社エポック社 堀江正幸氏インタビュー”. Classic Videogame Station ODYSSEY. 寺町電人. 2024年4月9日閲覧。
  5. ^ 志村, 幸雄「ビデオゲームは日本に定着するか」『マネジメント』第36巻第11号、日本能率協会、1977年、79-80頁、ISSN 0287-5799 
  6. ^ 「どれだけ売れるか注目集める「ビデオゲーム」の現状と問題点を探る」『企業と広告』第9巻第6号、チャネル、1983年、36-41頁、ISSN 0285-8746 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]