コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

シャナナぎんざ 何がなんだか若ラジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャナナぎんざ
何がなんだか若ラジオ
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送/公開放送
放送期間 1974年4月6日1976年10月2日
放送時間 毎週土曜日 17:00〜18:00
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 横山プリン
マギー・ミネンコ
山田パンダ
美詩える
田畑達志
鈴木ヒロミツ
堀智子
提供 東芝
特記事項:
東京都中央区銀座7丁目「東芝銀座セブン」から生放送[1]
テンプレートを表示

『シャナナぎんざ 何がなんだか若ラジオ』(シャナナぎんざ なにがなんだかわかラジオ)はニッポン放送ラジオ番組1974年4月6日から1976年10月2日まで、毎週土曜日 17:00〜18:00に放送した。

東芝の一社提供。

概要

[編集]

東京都中央区銀座7丁目の「東芝銀座セブンビル」[2]8階に在ったプラスワンホールから毎週2~3組のゲストを迎えての公開生放送[3]。主にゲストとのトークと歌、リスナーと電話をつないでのゲームコーナー、リスナーからのはがき紹介などを挟みながら放送した[1]

パーソナリティは横山プリンマギー・ミネンコ1975年4月からは山田パンダ美詩える。その後は鈴木ヒロミツが務め、堀智子などのアイドル歌手や局アナがアシスタントを務める。

プリン&マギー時代はリスナーと電話をつないでゲームで対戦するコーナーがあり、プリンとリスナーが「おいど!」「まいど!」などの合言葉で掛け合うなどのことが恒例となっていた[1]。その後の山田パンダ&美詩える時代には、会場の観覧者の中から選ばれた一人が家に電話をかけ、家にいる家族らに無茶な頼み事などをして、怒鳴られるのを狙うという『怒鳴られテレホン』コーナーがあり、ここでうまく怒鳴られたと判定されたら番組から賞品が贈られていた。

1975年当時は、はがきで応募した中から毎週一名におっぱいの形をしたラジオをプレゼントしていた[4]

当番組以外にNRN系の民放ラジオ局とRKB毎日放送で、東芝提供の「シャナナ○○」タイトルの番組を放送した(後述)。

パーソナリティ

[編集]

全国各地の「シャナナ」シリーズ

[編集]

本番組以外に全国各地で放送した「シャナナ○○」タイトルの番組は以下の通り。いずれも本番組と同じ東芝の提供。

  • 北海道放送 - 「シャナナさっぽろ ジャンボとケロコと音楽と」(土曜日 23:10〜24:00 パーソナリティ:ジャンボ秀克ケロコ伊藤
  • 青森放送 - 「シャナナあおもり」(月曜日 21:00〜21:40 パーソナリティ:浅木信也 1976年4月~1977年3月)[5]
  • 東北放送 - 「シャナナ仙台 何がなんだか若ラジオ」(日曜日 16:00〜17:00)[注釈 1]
    • 仙台市役所前・Aurex仙台から放送[7]。パーソナリティは鈴木亘、遠藤道子、阿部真喜子(1975年3月まで)→ 田中克典、笠原美恵、高橋和子(1975年4月から。1976年3月まで)
  • 山梨放送 - 「シャナナ山梨」(土曜日 23:10〜24:00 パーソナリティ:大柴堅志
  • 信越放送 - 「シャナナながの」(土曜日 22:10〜22:50 パーソナリティ:山越勝久 1976年3月まで)
  • 北日本放送 - 「シャナナ富山」(土曜日 23:30〜24:00)
  • 北陸放送 - 「シャナナ百万石」(土曜日 22:00〜22:50 1976年3月まで)
  • 福井放送 - 「シャナナふくい」(土曜日 22:00〜22:30 1976年3月まで)[注釈 2]
  • 静岡放送 - 「シャナナしずおか」(土曜日 22:00〜22:50)
  • 東海ラジオ放送 - 「シャナナなごや」(土曜日 22:00〜22:30)
  • 山陽放送 - 「シャナナおかやま」(土曜日 23:10〜23:40 1975年9月まで)
  • 中国放送 - 「シャナナヒロシマ 何がなんだか若ラジオ」
    • 日曜日 14:00〜15:00(1975年3月まで)→ 土曜日 17:00〜18:00(1975年4月〜9月)→ 日曜日 14:00〜15:00(1975年10月〜1976年3月)
  • 四国放送 - 「シャナナとくしま」(土曜日 23:00〜23:30 1975年9月まで)
  • 西日本放送 - 「ヤング東芝・シャナナ高松」(土曜日 23:30〜24:00)[注釈 3]
  • 南海放送 - 「シャナナまつやま」(土曜日 23:20〜23:50 1975年9月まで)
  • 高知放送 - 「YOUNGシャナナこうち」(土曜日 22:30〜23:00 1975年9月まで)
  • RKB毎日放送 - 「シャナナふくおか」(日曜日 22:40〜23:10 1976年3月まで)
    • 1975年までは、海援隊のパーソナリティで「走れ海援隊」のサブタイトルで放送。
  • ラジオ沖縄 - 「シャナナおきなわ」(土曜日 23:00〜24:00(1975年3月まで)→ 日曜日 13:00〜14:00(1975年4月〜1975年9月))[注釈 4]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『シャナナ仙台』は以下のコーナーがあった。なお、以下の各コーナーはいずれも3分以内で構成していた[6]
    • 「ペンペンゲーム」:観客(シャナナメイト)から選ばれた人がゲストの尻を叩いて、お題を当てるゲーム。
    • 「モミモミプレゼント」:ゲストがシャナナメイト(観客)にサービスするコーナー。
    • 「売り込みコーナー」:タレント性や特技自慢のシャナナメイトが参加するコーナー。
    • 「シャナナマイク」:言いたい放題のことを発言。
    • グループ・サウンズヒット曲合唱」
    • 「落第イングリッシュ」:英語を面白おかしく訳して解釈し、面白い日本語にする。
    • フォークコンテスト」
    • DJナンバーワン」
    • 「ヘタクソ大会」:ゲストと観客との交歓会。
    • 「アドリブ劇場」
  2. ^ 『シャナナふくい』には、高校生が詩を朗読する「ラブタイムメッセージ」のコーナーなどがあった[8]
  3. ^ 『シャナナ高松』は、オーレックスショウルームからの公開録音。司会・パーソナリティは当時活動していたシンガーソングライター、すみあきくん。アマチュアの合唱や弾き語りなどの企画が行われていた。民間のアマチュア団体「オーレックスファンクラブ」が番組の企画制作を受け持っていた[11]
  4. ^ 『シャナナおきなわ』には、「販売店クイズ」(正解者の中から毎週抽選で3名にトランジスタラジオなどの電化製品がプレゼント)、「ミッドナイト・ライブラリー」(このコーナーの中で紹介された話題の本を毎週抽選で4名の希望者に贈られていた)[12]、「英語でしゃべろう」(全て片言ででたらめっぽい英語でしゃべるゲーム)[13]、カップルからいろいろ話を聞く「ラブラブカップル」[14]などのコーナー、「素人DJ大会」[14]などの企画があった。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年2月号 p.81
  2. ^ 1993年閉館。後に吉本興業経営の銀座7丁目劇場が開場している。現在はZARAの店舗などが入るビルとなっている。
  3. ^ [1]
  4. ^ 季刊ランラジオ 1975年3月号 p.12 - 18特集「75年はラジオで稼ごう」
  5. ^ 季刊ランラジオ 1976年5月号、p.66
  6. ^ 季刊ランラジオ 1974年9月号 p.56 - 58
  7. ^ 季刊ランラジオ 1975年2月号 p.79
  8. ^ 季刊ランラジオ 1975年12月号、p.84
  9. ^ 季刊ランラジオ 1975年12月号 p.69
  10. ^ 季刊ランラジオ 1975年3月号 p.83
  11. ^ 季刊ランラジオ 1975年12月号、p.90
  12. ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年3月号「特集 75年はラジオで稼ごう」、季刊ランラジオ 1974年9月号 p.12、p.17
  13. ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年3月号、p.82
  14. ^ a b 季刊ランラジオ 1975年1月号、p.55
ニッポン放送 日曜日 17:00〜18:00枠
前番組 番組名 次番組
歌謡ベストアルバム
(17:00〜17:30)
サウンドスペース
(17:30〜18:00)
シャナナぎんざ
何がなんだか若ラジオ
銀座音楽祭への道
新人歌謡選手権