シャーロット・ジェイ
シャーロット・ジェイ Charlotte Jay | |
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誕生 |
ジェラルディン・マリー・ジェイ 1919年12月17日 南オーストラリア州アデレード |
死没 |
1996年10月27日(76歳没) アデレード |
職業 | 作家 |
言語 | 英語 |
国籍 | オーストラリア |
最終学歴 | アデレード大学 |
活動期間 | 1951年 - 1995年 |
主な受賞歴 | エドガー賞 長編賞(1954年) |
デビュー作 | "The Knife Is Feminine" |
配偶者 | アルバート・ホールズ |
シャーロット・ジェイ(Charlotte Jay、本名:ジェラルディン・ホールズ〈Geraldine Halls〉、1919年12月17日 - 1996年10月27日)は、オーストラリアの推理作家。著作はわずか9作のみと寡作だが、そのいずれもがそれまでにない作風だったため、ミステリ界において彼女の名声を高めている。
名字の「ジェイ」は旧姓で、著作の大半がその名義であるが、結婚後の本名であるホールズ名義の作品もいくつかある。
経歴
[編集]1919年12月17日、南オーストラリア州アデレードのメルヴィルという町に生まれる。全寮制寄宿女子校である私立ガートン校(現・アデレード・ペンブローク校)、及びアデレード大学を卒業[1]後、オーストラリアとイングランドでタイピストとして働き、1942年から1950年までニューギニア島で裁判所の口述筆記官を務めた[2]。
ユネスコに勤務していた東洋学者のアルバート・ホールズと結婚。アルバートはイングランドとオーストラリアにある東洋の古美術品を扱っていた[2]。彼との結婚により、外国を訪れる機会が増え、その経験は後に著作に生かされた。処女作"The Knife Is Feminine" はオーストラリアを舞台としているが[1]、その他の作品はパキスタン、日本、タイ、イングランド、レバノン、インド、パプアニューギニアやトロブリアンド諸島が舞台である。
長い作家生活を経て、1996年10月27日にアデレードの自宅で死去した。
受賞
[編集]1954年、長編『死の月』(原題:"Beat Not the Bones" )で、アメリカ探偵作家クラブにより新設されたエドガー賞 長編賞を受賞した。
映像化
[編集]犯罪小説"The Fugitive Eye" は、1961年にテレビドラマのシリーズとして映像化された[3]。主演はチャールトン・ヘストン
作品リスト
[編集]- シャーロット・ジェイ名義
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- The Knife Is Feminine (1951)
- 死の月 Beat Not the Bones ( 1952年 / 1955年 早川書房 恩地三保子訳)
- The Fugitive Eye (1953)
- The Yellow Turban (1955)
- The Man Who Walked Away[※ 1] (1958)
- Arms for Adonis (1960)
- A Hank of Hair (1964)
- ジェラルディン・マリー・ジェイ名義
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- The Feast of the Dead[※ 2] (1956)
- ジェラルディン・ホールズ名義
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- The Cats of Benares (1967)
- Cobra Kite (1971)
- The Voice of the Crab (1974)
- The Last Summer of the Men Shortage (1977)
- The Felling of Thawle : a novel (1979)
- Talking to strangers : a novel (1982)
- This is My Friend's Chair (1995)
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b Peter Moss; Michael J. Tolley (1992). A Hank of Hair: Afterword. South Australia: Wakefield Press. pp. 114–120. ISBN 1-86254-289-9
- ^ a b Adelaide (1988) p. 84
- ^ “Alcoa Premier: The Fugitive Eye (1961)”. IMDb. 2008年2月6日閲覧。
参考文献
[編集]- Adelaide, Debra (1988) Australian women writers: a bibliographic guide, London, Pandora