シュールブリードのポンソンビー男爵
シュルブリードのポンソンビー男爵 Baron Ponsonby of Shulbrede | |
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Arms:Gules a Chevron between three Combs Argent.Crest:Out of a Ducal Coronet Azure three Arrows points downwards one in pale and two in saltire entwined at the intersections by a Snake proper
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創設時期 | 1930年1月17日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵アーサー・ポンソンビー |
現所有者 | 4代男爵フレデリック・ポンソンビー |
推定相続人 | キャメロン・ポンソンビー閣下 |
相続資格 | 初代男爵の嫡出直系男子 |
付随称号 | なし |
現況 | 存続 |
邸宅 | シュールブリード・パーク |
モットー | 王と法と民のために (Pro Rege Lege Grege) |
シュールブリードのポンソンビー男爵(英: Baron Ponsonby of Shulbrede)は、連合王国貴族の男爵位。
ベスバラ伯爵家の分流で自由党から労働党へ移籍した政治家アーサー・ポンソンビーが1930年に叙されたのに始まる。
歴史
[編集]3代ベスバラ伯爵フレデリック・ポンソンビー(1758-1844)の次男サー・フレデリック・キャヴェンディッシュ・ポンソンビー(1783-1837)は、陸軍軍人となり、少将まで昇進した[1]。その長男であるサー・ヘンリー・ポンソンビー(1825-1895)も陸軍大将まで昇進した陸軍軍人でヴィクトリア女王の個人秘書官を務めたことで知られる[2]。
その三男であるアーサー・ポンソンビー(1871–1946)は、はじめ自由党、ついで労働党の庶民院議員を務め、労働党政権のマクドナルド内閣において役職を歴任した。そして1930年1月17日にはサセックス州におけるシュールブリードのシュールブリードのポンソンビー男爵(Baron Ponsonby of Shulbrede, of Shulbrede in the County of Sussex)に叙され[3][4]、貴族院議員に転じ[5]、労働党貴族院院内総務を務めた[3][4]。
彼の死後、爵位は息子から息子へという直系で2016年現在まで継承され続けている。2016年現在の当主は第4代男爵フレデリック・ポンソンビー(1958年-)である[3]。現当主も労働党の政治家として活躍したので、1999年の貴族院改革で世襲貴族としての議席を失った後の2000年4月19日に一代貴族西サセックス州におけるシュールブリードのローアンプトンのポンソンビー男爵(Baron Ponsonby of Roehampton, of Shulbrede in the County of West Sussex)に叙せられて再び貴族院議員となった[3][6][7]。
本邸は西サセックス・リンチミアにあるシュールブリード・プライオリーである[3]。家訓は「国王と法律と人民のために(Pro Rege Lege Grege)」[3]。
シュールブリードのポンソンビー男爵(1930年)
[編集]- シュールブリードの初代ポンソンビー男爵アーサー・オーガスタス・ウィリアム・ヘンリー・ポンソンビー (1871–1946)
- シュールブリードの2代ポンソンビー男爵マシュー・ヘンリー・ヒューバート・ポンソンビー (1904–1976)
- シュールブリードの3代ポンソンビー男爵トマス・アーサー・ポンソンビー (1930–1990)
- シュールブリードの4代ポンソンビー男爵フレデリック・マシュー・トマス・ポンソンビー (1958年-)
- 法定推定相続人は現当主の息子キャメロン・ジョン・ジャクソン・ポンソンビー (1995-)
系図
[編集]1723年ダンキャノン子爵 | |||||||||||||||||||||||||||
初代ダンキャノン子爵 ウィリアム 1659–1724 | |||||||||||||||||||||||||||
1739年ベスバラ伯 | |||||||||||||||||||||||||||
初代ベスバラ伯 ブラバゾン 1679–1758 | |||||||||||||||||||||||||||
2代ベスバラ伯 ウィリアム 1704–1793 | ジョン 1713-1787 | ||||||||||||||||||||||||||
1806年(イモキリー)ポンソンビー男爵 | |||||||||||||||||||||||||||
3代ベスバラ伯 フレデリック 1758–1844 | 初代ポンソンビー男爵 (イモキリーの) ウィリアム 1744-1806 | ||||||||||||||||||||||||||
(イモキリー)ポンソンビー男爵家 | |||||||||||||||||||||||||||
1838年ド・モーリー男爵 | |||||||||||||||||||||||||||
4代ベスバラ伯 ジョン 1781–1847 | フレデリック 1783-1837 | 初代ド・モーリー男爵 ウィリアム 1787-1855 | |||||||||||||||||||||||||
ベスバラ伯爵家 | ド・モーリー男爵家 (ウートンのポンソンビー)準男爵家 | ||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー 1825-1895 | |||||||||||||||||||||||||||
1935年シソンビー男爵 | 1930年(シュールブリード)ポンソンビー男爵 | ||||||||||||||||||||||||||
ジョン 1866-1952 | 初代シソンビー男爵 フレデリック 1867-1935 | 初代ポンソンビー男爵 (シュールブリードの) アーサー 1871-1946 | |||||||||||||||||||||||||
シソンビー男爵家 | |||||||||||||||||||||||||||
2代ポンソンビー男爵 (シュールブリードの) マシュー 1904–1976 | |||||||||||||||||||||||||||
3代ポンソンビー男爵 (シュールブリードの) トマス 1930–1990 | |||||||||||||||||||||||||||
4代ポンソンビー男爵 (シュールブリードの) フレデリック 1958– | |||||||||||||||||||||||||||
キャメロン・ポンソンビー 1995– (法定推定相続人) | |||||||||||||||||||||||||||
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “Maj.-Gen. Hon. Sir Frederick Cavendish Ponsonby” (英語). thepeerage.com. 2016年6月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “General Rt. Hon. Sir Henry Frederick Ponsonby” (英語). thepeerage.com. 2016年6月9日閲覧。
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Ponsonby of Shulbrede, Baron (UK, 1930)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年6月9日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Arthur Augustus William Harry Ponsonby, 1st Baron Ponsonby of Shulbrede” (英語). thepeerage.com. 2016年6月9日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Mr Arthur Ponsonby” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年6月10日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Mr Frederick Ponsonby” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年6月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Frederick Matthew Thomas Ponsonby, 4th Baron Ponsonby of Shulbrede” (英語). thepeerage.com. 2016年6月9日閲覧。
関連項目
[編集]- ベスバラ伯爵 - 本家筋
- ド・モーリー男爵 同族。現存
- (ウートンのポンソンビー)準男爵 同族。現存
- イモキリーのポンソンビー男爵 同族。1866年廃絶
- シソンビー男爵 同族。2009年廃絶