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ド・モーリー男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ド・モーリー男爵
Baron de Mauley

紋章記述

Arms:Gules a Chevron between three Combs Argent.Crest:Out of a Ducal Coronet Or three Arrows points downwards one in pale and two in saltire entwined at the intersection by a Snake proper.Supporters:Dexter: a Lion reguardant proper; Sinister: a Bull Sable armed unguled tufted and ducally gorged Or
創設時期1838年7月10日
創設者ヴィクトリア
貴族連合王国貴族
初代初代男爵ウィリアム・ポンソンビー英語版
現所有者7代男爵ルパート・ポンソンビー英語版
推定相続人ジョージ・ポンソンビー閣下
相続資格初代男爵の嫡出直系男子
付随称号なし
現況存続
モットー王と法と民のために
(Pro Rege Lege Grege)

ド・モーリー男爵: Baron de Mauley)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。

べスバラ伯爵家の分流で、自由党の政治家ウィリアム・ポンソンビーが1838年に叙されたことに始まる。

歴史

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初代男爵とその兄弟を抱くベスバラ伯爵夫人ヘンリエッタ

第3代ベスバラ伯爵フレデリック・ポンソンビーの三男ウィリアム・ポンソンビー英語版(1787-1855)ホイッグ党の政治家として活動し、プール及びネアズボロ選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた。[1][2]彼は1838年7月10日連合王国貴族としてドーセット州カンフォードのド・モーリー男爵(Baron de Mauley, of Canford in the County of Dorset)に叙されたが、これが男爵家の嚆矢であった[2][3][4]

なお、爵位名は初代男爵の妻バーバラ・アシュリー=クーパーが旧家モーリー男爵家(Baron Mauley)の子孫であり、かつ休止した爵位の共同相続人であったことに因む[4]

その後も初代男爵の系統で爵位は相続されたが、3代男爵ウィリアム(1843-1918)が男子なく没すると、爵位は弟のモーリスが継承した[2]

4代男爵モーリス(1846-1945)聖職者で、ウォンテージ司教代理(Vicar of Wantage)やブリストル大聖堂律修司祭(Hon Canon, Bristol Cathedral)を務めた[2][4]

その孫にあたる6代男爵ジェラルド(1921-2002)が男子なく2002年に没したため、爵位は甥のルパートが継承した[2]

7代男爵ルパート(1957-)保守党の政治家で、1999年貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。彼は現職の主馬頭を務めるとともに、2023年現在の男爵家現当主である[2]

ド・モーリー男爵(1838年)

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推定相続人は、現当主の弟であるアシュリー・ジョージ・ポンソンビー(1959-)閣下。

系図

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脚注

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  1. ^ Legg, Rodney (2005). The Book of Poole: Harbour and Town. Halsgrove. p. 55. ISBN 1841144118 
  2. ^ a b c d e f de Mauley, Baron (UK, 1838)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月11日閲覧。
  3. ^ No.19629”. The Gazette 26 June 1838. 2020年1月11日閲覧。
  4. ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 

関連項目

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