ジャイル・スティール
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ジャイル・スティール Gile Steele | |||||||||
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生年月日 | 1908年9月24日 | ||||||||
没年月日 | 1952年1月16日(43歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州カルバーシティ | ||||||||
職業 | 衣裳デザイナー | ||||||||
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ジャイル・スティール(Gile Steele, 1908年9月24日 - 1952年1月16日)は、アメリカ合衆国の衣裳デザイナーである。
キャリア
[編集]1938年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)でキャリアを始め、初期作品にはノーマ・シアラー主演の『マリー・アントアネットの生涯』などがあった。彼はMGMで『高慢と偏見』(1940年)、『ブーム・タウン』(1940年)、『塵に咲く花』(1941年)、『ジキル博士とハイド氏』(1941年)、『ミニヴァー夫人』(1942年)、『キュリー夫人』(1943年)などの著名な映画に参加した。1948年の『皇帝円舞曲』により、第21回アカデミー賞で新たに設置された衣裳デザイン賞の候補者となった。その後、『女相続人』と『サムソンとデリラ』で受賞を果たした。43歳の時に心臓発作で亡くなった。
受賞とノミネート
[編集]賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
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アカデミー賞 | 1948[1] | 衣裳デザイン賞 (カラー) | 皇帝円舞曲 | ノミネート |
1949[2] | 衣裳デザイン賞 (白黒) | 女相続人 | 受賞 | |
1950[3] | 衣裳デザイン賞 (カラー) | サムソンとデリラ | 受賞 | |
1951[4] | 衣裳デザイン賞 (白黒) | Kind Lady | ノミネート (死後) | |
衣裳デザイン賞 (カラー) | 歌劇王カルーソ | ノミネート (死後) | ||
1952[5] | メリー・ウィドウ | ノミネート (死後) |
参考文献
[編集]- ^ “THE 21ST ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2018年3月15日閲覧。
- ^ “THE 22ND ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2018年3月15日閲覧。
- ^ “THE 23RD ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2018年3月15日閲覧。
- ^ “THE 24TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2018年3月15日閲覧。
- ^ “THE 25TH ACADEMY AWARDS”. oscars.org. 2018年3月15日閲覧。