ジャガー・XJR-16
カテゴリー | IMSA-GTP | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
コンストラクター | ジャガー / TWR USA | ||||||||||
デザイナー | イアン・リード | ||||||||||
先代 | ジャガー・XJR-10 | ||||||||||
後継 | ジャガー・XJR-14 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
シャシー | カーボンファイバーコンポジット モノコック | ||||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン プッシュロッド | ||||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
全長 | 4,800 mm | ||||||||||
全幅 | 2,000 mm | ||||||||||
全高 | 1,100 mm | ||||||||||
ホイールベース | 2,794 mm | ||||||||||
エンジン | JRV6 2.991 cc V6 ツインターボ ミッドシップ | ||||||||||
トランスミッション | マーチVG 5速 | ||||||||||
重量 | 953 kg | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | TWR USA | ||||||||||
ドライバー |
デイビー・ジョーンズ ラウル・ボーセル マーティン・ブランドル スコット・グッドイヤー デビッド・ブラバム スコット・プルーエット | ||||||||||
出走時期 | 1991 - 1992年 | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1991年ロード・アトランタ300km | ||||||||||
初勝利 | 1991年ロード・アトランタ300km | ||||||||||
最終戦 | 1992年デイトナ24時間 | ||||||||||
|
ジャガー・XJR-16は、1991年にトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)がIMSA GT選手権参戦用に製作したIMSA-GTPクラスのプロトタイプレーシングカーである。
概要
[編集]TWRがIMSAで1989年シーズンから使用しているXJR-10の改良型で当初はXJR-10Fとしてデビューする予定だったが、改良点が多岐にわたったためXJR-16の新形式が起こされた。
カーボン製モノコック、3.0Lターボ・エンジンを使用するなどの基本設計はXJR-10と同じである。XJR-10からの主な改良・変更点は
- エンジン・マネージメントシステムをザイテックからボッシュ・モトロニックMP1.7に変更。
- ブレーキローターをスチール製からカーボン製に変更。
- ジャガー・XJR-14タイプの大型二段式リヤウイングの採用。
などである。
戦績
[編集]1991年
XJR-16はIMSA第5戦ロードアトランタでXJR-10と併用する形でデビューし、ポールポジションからスタートしそのまま優勝。続く第6戦トペカでもポールポジションスタートから2位とXJR-16はデビュー早々高い戦闘力を発揮した。TWRは第7戦ライムロックから2台ともXJR-16参戦に切り替えた。
1991年シーズンTWRはIMSAでXJR-10が2勝、XJR-16が4勝と計6勝を挙げた。これはIMSA-GTPに参戦しているマニュファクチャラーとしては最多であった。しかしポイントの取りこぼしも多く、マニュファクチャラーズ、ドライバーズの両タイトルはシーズン3勝ながら確実に上位入賞を重ねた日産が防衛した。
1992年
1992年シーズンの出場レースはIMSAシリーズの開幕戦デイトナ24時間レースの1レースのみである。ポールポジション獲得チームに与えられるボーナスポイントの獲得を狙ってのエントリーだったが、予選2位に終わった。レースはウォームアップラン中にエンジントラブルを起こして出走を取りやめた。
参考文献
[編集]『Sports-Car Racing Vol.15』、Sports-Car Racing Group、2004年。