ジャン・ジロドゥ
ジャン・ジロドゥ Jean Giraudoux | |
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ジャン・ジロドゥ 1927年 | |
誕生 |
イポリット・ジャン・ジロドゥ 1882年10月29日 フランス、ベラック(ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、オート=ヴィエンヌ県) |
死没 |
1944年1月31日(61歳没) フランス、パリ |
墓地 | パッシー墓地 |
職業 | 小説家、劇作家、政治家 |
言語 | フランス語 |
最終学歴 | 高等師範学校 |
代表作 |
『トロイ戦争は起こらない』 『ジークフリート』 『シャイヨの狂女』 |
主な受賞歴 | レジオンドヌール勲章コマンドゥール |
子供 | ジャン=ピエール・ジロドゥ |
ウィキポータル 文学 |
ジャン・ジロドゥ(Jean Giraudoux、1882年10月29日 - 1944年1月31日)は、フランスの外交官・劇作家・小説家。オート=ヴィエンヌ県の小都邑ベラック生まれ。ナチス占領末期のパリで死去。
経歴
[編集]1882年、土木監督の父レジェ(Léger)と母アンヌ・ラコスト(Anne Lacoste)との間に生まれ、父の転勤にしたがう。
1887年、アンドル県ペルヴォアザン(Pellevoisin)の小学校へ入る。
1893年、アンドル県シャトールーのリセ(現在のリセ・ジャン・ジロドゥ・シャトールー(Lycée Jean Giraudoux Châteauroux))に進む。戯曲作りをこころみる。
1898年、シャルル=ルイ・フィリップとエドモン・ロスタンとから、励ましの返書をもらう。
1900年、パリのリセ・ラカナル(Lycée Lakanal)に、給費生として移る。1901年、リセを卒業して兵役につき、1903年除隊後、パリの高等師範学校に進む。ドイツ語の優等賞を受け、1905年首席で卒業、給費生としてミュンヘンに留学し、ついで東欧・南欧に遊ぶ。
1906年、ハーヴァード大学のフランス語教師として渡米し、1907年帰国し、ル・マタン紙の文芸担当記者に就職する。小説を書き進める。
1909年、小説集『田舎の人々』を出版。売れ行きはよくなかったが、アンドレ・ジッドの目にとまる。
1910年、外務省政治経済局副領事見習生となり、かたわら小説を発表し、注目され始める。
1914年、第一次世界大戦に出征して負傷、入院する。1915年、ダーダネルスで諜報活動にしたがい、ふたたび負傷、パリに戻る。レジオン・ド=ヌール勲章コマンドゥールを受ける。1916年、教導士官としてポルトガルへ、ついでアメリカへ派遣される。
1918年、大戦終結、結婚。
1919年、外務省に復帰する。長男誕生。1920年、フランス海外事業局(Service des Œuvres Françaises Etrangère)に入り、翌1921年、局長となる。1922年、小説『ジークフリートとリムーザン人』を出版し、バルザック賞を受ける。
1924年、駐独大使館秘書官としてベルリンに赴任。短期間で戻り新聞情報局長となる。1926年 - 1933年、連合国損害評価委員会(Commission d'évaluation des dommages)委員を勤める。
1927年、演出家・俳優のルイ・ジューヴェを知る。ジューヴェは当時、シャンゼリゼ劇場内のコメディ・デ・シャンゼリゼに一座を構えていた。ジロドゥは、ジューヴェに励まされながら、『ジークフリートとリムーザン人』をもとに台本を練り、1928年5月3日、初戯曲『ジークフリード』の初演に漕ぎつけた。成功であった。「この芝居はジューヴェと一座の人々とが作り上げた。台本は無署名がふさわしい」とジロドゥは記した。
以降ジロドゥは、次々と戯曲を書き、ほとんどをジューヴェ一座が上演し、さながら同座の座付作者であった。ほとんどが好評であった。台本にト書きが少ないのは、一座の意見を入れては訂正を重ねたためという。ギリシア神話や旧約聖書などを下敷きにした反リアリズムの、新鮮な作風であった。上演の記録は、次項の「戯曲」にある。
1934年、外交官・領事の監督官となる。1936年、世界一周旅行をする。
1939年、第二次世界大戦の勃発と共に、ダラディエ首相に乞われ情報局長となり、ラジオ放送でナチスと対抗するが、1940年3月、ドイツ軍侵入による内閣の退陣とともに、辞職する。6月のフランス降伏後、一時、地方に疎開して、間もなくパリに戻る。
1940年 - 1944年の被占領中は、レジスタンスに協力し、ルイ・アラゴンらとも通じていた。
1941年、ゴーモン映画会社(Gaumont)の文芸部長となり、シナリオ2本を書く。
1942年、『マルザックのアポロ』(のち『ベラックのアポロ』と改題)の草稿を、大戦を避けて南米を巡業中のジューヴェに送り、リオ・デ・ジャネイロで初演される。1943年、『ソドムとゴモル』を、ジューヴェ不在のパリで、ドゥキング(Georges Douking)の演出により初演する。
1944年1月31日、尿毒症のため、パリ7区オルセー河岸通り (Quai d'Orsay) 89番地で急死、61歳没。7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique) のサン=ピエール=デュ=グロ=カイユ教会 (Église Saint-Pierre-du-Gros-Caillou, HP) で葬儀を営み、パッシー墓地に葬る。
1945年12月22日、遺作『シャイヨの狂女』を、帰国したルイ・ジューヴェが初演する。
1951年7月1日、故郷ベラックに「ジャン・ジロドウ記念碑」が建ち、ジューヴェらが故人の作品の抜粋を演じた。
作品
[編集]小説
[編集]列の右端の括弧は、出版年。
- 田舎の人々(Provinciales)(1909)
- 無頓着学校(L'École des indifférents)(1911)
- 幽霊教育(Lectures pour une ombre)(1917)
- 悲壮なシモン(Simon le Pathétique)(1918)
- エルペノール(Elpénor)(1919)
- アミカ・アメリカ(Amica America)(1919)
- 素晴らしいクリオ(Adorable Clio)(1920)
- シュザンヌと太平洋(Suzanne et le Pacifique)(1921)
- ジークフリートとリムーザン人(Siegfried et le Limousin)(1922)
- 男の国のジュリエット(Juliette au pays des hommes)(1924)
- ベラ(Bella)(1926)
- エグランティーヌ(Églantine)(1927)
- バルディーニの冒険(Aventures de Jérôme Bardini)(1930)
- センチメンタルなフランス(La France sentimentale)(1932)
- 天使との戦い(Combat avec l'ange)(1934)
- 選り抜きの女たち(Choix des élues)(1939)
- 舷側の幽霊(L'ombre sur les joues)(遺作)(1952)
- 嘘つき女(La Menteuse)(遺作)(1958)
随筆・評論
[編集]列の右端の括弧は、出版年。
- ラ・フォンテーヌの五つの「誘惑」(Les cinq Tentations de La Fontaine)(1938)
- 文学(Littérature)(文芸評論など)(1941)
- ヴィジタシオン(Visitations)(以下遺稿)(1947)
- 全権力と無権力(Pleins pouvoirs et Sans pouvoirs)(対外放送の原稿)(1951)
- 夜の黄金(Or dans la nuit)(文芸評論など)(1969)
戯曲
[編集]題名、(原題)、(初演年月日)、劇団、劇場の順序に列記。
- ジークフリート(Siegfried)、(192.5.3)、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ
- アンフィトリオン38(Amphitryon 38)、(1929.11.8)、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ
- ユディット(Judith)、(1931.11.5)、ジューヴェ演出、ピガール劇場
- 間奏曲(Intermezzo)、(1933.3.1)、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ、フランシス・プーランク曲
- テッサ(Tessa)、(1934.11.14)、ジューヴェ一座、アテネ劇場(Théâtre de l'Athénée)
- トロイ戦争は起こらない(La guerre de Troie n'aura pas lieu)、(1935.11.22)、ジューヴェ一座、アテネ劇場、モーリス・ジョベール曲
- クック船長航海異聞(Supplément au voyage de Cook)、(1935.11.22)、ジューヴェ一座、アテネ劇場
- エレクトル(Électre)、(1937.5.13)、ジューヴェ一座、アテネ劇場
- パリ即興劇(L'Impromptu de Paris)、(1937.12.4)、ジューヴェ一座、アテネ劇場
- カンティック・デ・カンティック(Cantique des cantiques)、(1938.10.13)、ジューヴェ演出、コメディ・フランセーズ
- オンディーヌ(Ondine)、(1939.5.4)、ジューヴェ一座、アテネ劇場、アンリ・ソーゲ曲
- マルザックのアポロ(L'Apollon de Marsac)、(1942.6.16)、ジューヴェ一座、リオ・デ・ジャネイロ、(戦後『ベラックのアポロ』と改題)
- ソドムとゴモル(Sodome et Gomorrhe)、(1943.10.11)、ドゥキング演出、エベルト劇場(Théâtre Hébertot)、アルテュール・オネゲル曲
- シャイヨの狂女(La Folle de Chaillot)、(1945.12.22)、ジューヴェ一座、アテネ劇場、アンリ・ソーゲ曲
- ルクレチアのために(Pour Lucrèce)、(1951)、(1953.11)、ルノー=バロー劇団、マリニー劇場(Théâtre Marigny)
シナリオ
[編集]- ランジェーの侯爵夫人(La Duchesse de Langeais)(1942)
- 罪の天使(Les Anges du péché)(1943)
戯曲の日本初演
[編集]外題、初演日、劇団、演出者、劇場の順序に列記。
- クック船長航海異聞:1950.9.15、文学座、芥川比呂志・矢代静一、文学座アトリエ
- 間奏曲:1954.12.17、劇団四季、浅利慶太、飛行館ホール
- アンフィトリオン38:1955.11.8、劇団四季、浅利慶太、神田一橋講堂
- トロイ戦争は起こらない:1957.6.15、劇団四季、浅利慶太、神田一橋講堂
- ジークフリート:1958. 8.23、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール
- オンディーヌ:1958.12.16、劇団四季、浅利慶太、俳優座劇場
- シャイヨの狂女:1961.3.14、俳優座演劇研究所、木村鈴吉、俳優座劇場
- エレクトル:1962.7.15、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール
- ユディット、1964.7.1、東京都学生演劇連盟、森千二、紀伊国屋ホール
- リュクレース(ルクレチア)のために:1968.9.10、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール
- テッサ:1973.7.31、劇団四季、浅利慶太、西武劇場
- ベラックのアポロ:1987.1.23、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール
- パリ即興劇:
- ソドムとゴモル:
日本語訳書
[編集]新しい版のみを記す。
- 『天使とのたたかい』中村眞一郎訳、世界文学全集23:集英社 1965.9
- 『シュザンヌと太平洋』中村眞一郎訳、世界文学全集23:集英社 1965.9
- 『選り抜きの女たち』高畠正明訳、世界文学全集58:筑摩書房 1970
- 『ベラ』白井浩司訳、世界文学全集76:講談社 1979
- 『ベタニ ― 罪の天使』今野雅方、縄田靖子共訳、ノンブル社 1986
- 『ジロドゥ戯曲全集』白水社(全6冊)、新装版 2001.7
- 1 ジークフリート、2 ユディット、3 テッサ、4 クック船長航海異聞
- 5 カンティック・デ・カンティック、6 ベルラックのアポロ
- 初版は1957年、以降度々復刊された
- 『オンディーヌ』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫 2008、ISBN 978-4-334-751524
- 『トロイ戦争は起こらない』岩切正一郎訳、ハヤカワ演劇文庫 2017.9、ISBN 978-4-15-1400414
参考図書
[編集]- 川島順平:ジャン・ジロードゥーの戯曲、白水社(1959)
- 諏訪正:ジュヴェの肖像、芸立出版KK (1989)ISBN 4-87466-050-9
- 江川卓:新潮世界文学辞典、新潮社(1990)ISBN 978-4107302090
外部リンク
[編集]- ジロドゥ・アカデミー(フランス語)
- ジロドゥの映画シナリオ(英語)