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ジャン=ルイ・バロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jean-Louis Barrault
ジャン=ルイ・バロー
ジャン=ルイ・バロー
1952年
本名 ジャン=ルイ・バロー
Jean-Louis Barrault
生年月日 (1910-09-08) 1910年9月8日
没年月日 (1994-01-22) 1994年1月22日(83歳没)
出生地 イヴリーヌ県ル・ヴェジネ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 俳優演出家、劇団主宰
ジャンル 舞台映画
活動内容 演劇・映画
配偶者 マドレーヌ・ルノー
主な作品
天井桟敷の人々』(1945年)
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ジャン=ルイ・バローJean-Louis Barrault1910年9月8日 - 1994年1月22日)はフランス俳優演出家、劇団主宰者。日本には、映画『天井桟敷の人々』のバチスト役、および、1960年、1977年、1979年の三度の来日公演などにより、知られた。女優マドレーヌ・ルノーを妻とした。姪に女優のマリー=クリスティーヌ・バローがいる。

生涯

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パリ西郊、イヴリーヌ県ル・ヴェジネの、薬剤師の家に生まれた。パリのシャプタル高等中学校(Lycée Chaptal)を卒業し、父の希望に背き、店員や中学校の自習監督係などを経て、1931年、シャルル・デュラン一座に入り、ベン・ジョンソン作、シュテファン・ツヴァイク および ジュール・ロマン脚色の『ヴォルポーヌ』の端役で、初舞台を踏んだ。

貧窮の中で、1935年から2年間、アトリエ座俳優学校のエティエンヌ・ドクルー(Étienne Decroux)に、パントマイムも学んだ。この学校にはマルセル・マルソーもいた。1936年、ウィリアム・フォークナーの『母をめぐって』をアトリエ座で演出し、名を上げ、デュランの友人ルイ・ジューヴェにも、認められた。

1932年から1936年までジャック・プレヴェールポール・グリモークロード・オータン=ララらが組織したアジプロ劇団『10月グループ』(Groupe Octobre)の、メンバーでもあった。[1]

マドレーヌ・ルノーと(1952)

1939年(29歳)、第二次世界大戦に召集されて還り、1940年、臨時支配人ジャック・コポーに招かれ、コメディ・フランセーズに入座した。1943年正座員となりクローデルの『繻子の靴』を演出・上演したことは、ナチスによる被占領期の快挙として、記録されている。この頃、同座の女優マドレーヌ・ルノーと結婚した。1943年から1944年にかけて、『天井桟敷の人々』で主人公を演じるための撮影にかかわった。

1946年、改革の政令を不服として、ルノーと共にコメディ・フランセーズを去って『ルノー=バロー劇団』 (la compagnie Renaud-Barrault)を組織し、マリニー劇場(Théâtre Marigny)と10年契約を結んだ。

契約が切れた1956年以降、一座は地方都市や外国へ、旅興行を続けた。

1959年、時の文化相アンドレ・マルローが、オデオン座をコメディ・フランセーズから分離し、フランス劇場(Théâtre de France)と名付け、『ルノー=バロー劇団』に預けた。バローはそこで自らの演劇活動を行うかたわら、『諸国民演劇祭』(Théâtre des nations)をもよおし、アメリカの『リヴィング・シアター』(The Living Theatre)を招くなど、世界の演劇に門を開いた。

1968年、五月革命の学生らに劇場の占拠を許したかどで、劇団はオデオン座を追われ、その暮から翌春まで、闘技小屋のエリゼ・モンマルトル(Élysée Montmartre)、1974年から1980年までオルセー駅内の仮設小屋などで興行したのち、1981年、時の文化相ジャン=フィリップ・ルカ(Jean-Philippe Lecat)の斡旋で、ロン・ポワン劇場(Théâtre du Rond-Point)に落着いた。

ルノー=バロー劇団は、1960年、1977年、1979年の3回、来日した。[2]

1994年1月、心臓発作により、パリに没した。同年9月に後を追ったマドレーヌ・ルノーと、パッシー墓地に眠っている。

50本近い映画に出演した。

舞台

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再演は記さない。

仮住まい時代

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主な映画

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公開年 邦題
原題
役名 備考
1935 みどりの園
Les beaux jours
レネ
1936 ジェニイの家
Jenny
美しき青春
Hélène
ピエール
楽聖ベートーヴェンフランス語版
Un grand amour de Beethoven
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
1937 王冠の真珠
Les Perles de la couronne
ジャン・マルタン
フランソワ1世
ポール・バラス
ナポレオン3世
サシャ・ギトリ監督
シネクラブ上映
1941 デジレ
Le Destin fabuleux de Désirée Clary
ナポレオン・ボナパルト サシャ・ギトリ監督
1942 幻想交響楽フランス語版
La symphonie fantastique
エクトル・ベルリオーズ
1944 泣きぬれた天使フランス語版
L'ange de la nuit
ジャック・マルタン
1945 天井桟敷の人々
Les enfants du paradis
ジャン・バチスト/ガスパール・ドビュロー
しのび泣きフランス語版
La part de l'ombre
ミシェル・クレメール
1950 輪舞
La ronde
ロベルト(詩人)
1954 ヴェルサイユ語りなば
Si Versailles m'était conté...
フェヌロン サシャ・ギトリ監督
映画祭上映
1958 コルドリエ博士の遺言
Le testament du Docteur Cordelier
コルドリエ博士 テレビ映画
1958 グレバン蝋美術館
Musée Grévin
本人 短編
1962 史上最大の作戦
The Longest Day
ルイ・ルーラン神父
1966 チャパクア
Chappaqua
ブノワ博士
1982 ヴァレンヌの夜
La Nuit de Varennes
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ エットレ・スコーラ監督
映画祭上映

参考文献

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日本語訳された著書

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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