ジャン・ジュネ
ジャン・ジュネ | |
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晩年のジュネ(1983年) | |
誕生 |
1910年12月19日 フランス共和国、パリ |
死没 |
1986年4月15日 フランス、パリ |
職業 | 作家 |
ジャンル | 小説、詩、戯曲、ノンフィクション |
代表作 | 『花のノートルダム』、『泥棒日記』 |
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ジャン・ジュネ(Jean Genet、1910年12月19日 - 1986年4月15日)は、フランスの小説家、詩人、エッセイスト、劇作家、政治活動家。少年期から30代までは、犯罪や放浪を繰り返していた。
経歴
[編集]1910年12月19日、家政婦であった母、カミーユ・ガブリエル・ジュネのもとにパリ6区に生まれた。父の名前はフレデリック・ブラン。生後7ヶ月で母に捨てられ、田舎(アリニー・アン・モルヴァン)に住む木こりの夫婦(シャルル&ウージェニー・レニエ夫妻)の養子となった。ジュネは学校の成績はよかったものの、犯罪を繰り返すようになった。養母が死亡した後、新たな夫妻(ウージェニーの娘ベルトとその夫アントナン)の養子となったが、繰り返して起こした犯罪のため、15歳のときに感化院に送られた。18歳のときに外国人部隊に志願し入隊するが、後に脱走してフランスを離れ、ヨーロッパを放浪した。この際にも、窃盗や乞食、男娼、わいせつ、麻薬密売といった犯罪を繰り返していた。
ジュネは1930年頃、二十歳の時に、十年間愛していた少女が死に、その命日に「自分が感動するために」詩を書いた。その詩は失われ、残っている処女作が後述する1942年の「死刑囚」である。
1942年、パリの南にあるフレーヌの刑務所(19世紀の末に作られた刑務所で、第二次世界大戦中はドイツ軍がここに政治犯を監禁した)での服役中に「死刑囚」というのちに名高くなる詩(かなり長い)を書き、1945年、もう一篇の詩「死の歩み」とともに、『秘密の歌』として一冊の小さな本とする。長詩「死刑囚」は、二十歳の美青年だった殺人者、モーリス・ピロルジュに捧げられている。
また、ジュネはパリで作家ジャン・コクトーに自分の作品を読ませ、自らの文才を認めさせることに成功し、1944年、文芸誌「ラルバレート」に小説『花のノートルダム』の抜粋が掲載される(これが公に発表されたジュネの最初の作品となる)。
1944年、『薔薇の奇蹟』を執筆。同年、終身禁固刑の求刑を前にジャン・コクトーらが介入し、自由となる。
1947年、『ブレストの乱暴者』や『女中たち』、1949年、『泥棒日記』など戯曲や小説を執筆。ジュネによって『泥棒日記』はサルトルと、<カストール>ことボーヴォワールに捧げられた。
1948年、コクトーやジャン=ポール・サルトルらの請願により、大統領の恩赦を獲得する。
1950年、白黒映画 『愛の唄』(Un Chant d'Amour)を制作。映画はこれ1本だが、脚本や戯曲を書いてもいる。この後、サルトルのジュネ論『聖ジュネ』(1952年)もあいまって、執筆活動を数年にわたって止める。その後、1956年に『バルコン』、1961年に『屏風』など戯曲を執筆する。
1967年、自殺未遂を起こす。その後、五月革命に政治参加し、ベトナム戦争反対運動に加わる。徐々に移民問題に関心を寄せるようになる。1970年、黒人自治を目指して闘うブラックパンサー党と行動をともにし、アメリカ中で講演を行なう。同年、PLOの提案でヨルダンに留まり、ヤーセル・アラファートと会見する。以降、精力的な政治活動を続けた。この後も幾度か中東に赴いている。
1982年、サブラー・シャティーラ事件を目撃。ブラックパンサー党やPLOなどでの体験は、遺作『恋する虜 パレスチナへの旅』に結実する。
1986年4月15日、パリ13区内で死去。アルベルト・ジャコメッティとの親交はよく知られている[1]。
著作(日本語訳)
[編集]- 『ジャン・ジュネ全集』全4巻、新潮社、1968年、復刊1992年。小説と戯曲・詩集
- 『花のノートルダム』(Notre Dame des Fleurs 1942/1943[2])
- 『薔薇の奇蹟』 (Miracle de la Rose 1946/1951)
- 『死刑囚』中沢邦士訳 国文社 1960
- 『葬儀』(Pompes Funèbres 1947/1953)。生田耕作訳、河出書房新社、新版1987年、河出文庫、2003年
- 『ブレストの乱暴者』(Querelle de Brest 1947/1953)。澁澤龍彦訳、河出書房新社、新版1988年。河出文庫、2002年[3]
- 『泥棒日記』(Journal du voleur 1949/1949)。朝吹三吉訳、新潮社、1953年。新潮文庫、1990年(改訳版)
- 「女中たち」篠沢秀夫訳『今日のフランス演劇 第1』白水社 1966年
- 『アダム・ミロワール』一羽昌子訳、コーベブックス 1977年
- 『恋する虜 パレスチナへの旅』 (Un Captif Amoureux 1986/1986)。鵜飼哲・海老坂武訳、人文書院、1994年、新版2011年
- 『シャティーラの四時間』鵜飼哲・梅木達郎訳、インスクリプト、2010年
- 『公然たる敵』鵜飼哲・梅木達郎・根岸徹郎・岑村傑訳、月曜社、2011年
- 『判決』宇野邦一訳、みすず書房、2012年
- 『ジャン・ジュネ詩集』中島登訳、国文社、1967年
参考文献
[編集]- エドマンド・ホワイト 『ジュネ伝(上下)』(鵜飼哲・根岸徹郎・荒木敦訳、河出書房新社、2003年)
- ジャン=ベルナール・モラリー 『ジャン・ジュネ伝』(柴田芳幸訳、リブロポート、1994年)
- 『ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 生誕一〇〇年記念特集』(2011年1月号、青土社)- 巻末に主要作品解題
- 『ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 牢獄・同性愛・政治』(1992年6月号、青土社)
- サルトル 『聖ジュネ 演技者と殉教者』 白井浩司・平井啓之訳(人文書院「サルトル全集 34・35巻」)
- ジョルジュ・バタイユ 『文学と悪』(山本功訳、新版・ちくま学芸文庫)- ジュネ論所収
- ジャック・デリダ『弔鐘』- ヘーゲル及びジュネ論
- タハール・ベン・ジェルーン『嘘つきジュネ』(岑村傑訳、インスクリプト、2018年) - 晩年期のジュネの回想録
- 飯島耕一「青海波――あるいは吉岡実をめぐる走り書」(「現代詩読本」1991年4月、思潮社)