ジャン=ルイ・ド・ランビュール
ジャン=ルイ・ド・ランビュール(Jean-Louis de Rambures、1930年5月19日 - 2006年5月20日)は、フランスのジャーナリスト、作家、翻訳家、文化担当官。フランス語でのフルネームは、ジャン=ルイ・ヴィコント・ド・ブレティゼル・ランビュール (Jean-Louis Vicomte de Bretizel Rambures)。
生涯
[編集]両親は、ブラジル出身の母、ルシール・カロジェーラと、フランスのピカルディ出身の父、グラーフ・ベルナール・デ・ブレティゼル・ランビュール。両親の母国語である、ポルトガル語とフランス語を学んだだけでなく、早くからドイツ語とドイツ文学にも触れ、後に翻訳家として大成功を収めた。トゥールーズとパリの高校を卒業後、両市の大学に通い、パリ政治学院で法学とドイツ語の学士号を取得、また、テュービンゲン(ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州)の大学で、ドイツ語文学を学んだ。1958年、月刊誌リアリティーズで働き始め、数多くの芸術家達、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カールハインツ・シュトックハウゼン、ルキノ・ヴィスコンティなどについての記事を書いた。1968年以降は、美術誌コネッサンス・デ・ザール、レクスプレス、日刊新聞ル・モンドで、25年以上に渡って記事を書き続けた。
ジャーナリストとしての関心は、作家の仕事への取り組み方と、どのようにして文学が生まれるのかということに向けられていた。それゆえ数え切れないほどの作家達に接触を試み、ロラン・バルト、ジュリアン・グラック、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ、エレーヌ・シクス、ヘルタ・ミュラー、エルンスト・ユンガー、トーマス・ベルンハルト、ギュンター・グラス、ハインリヒ・ベル、その他多くの作家達が対談会見に応じた。1978年に作家25人との対談を収録した代表作「Comment travaillent les ecrivains(作家の仕事部屋、訳書は下記)が出版された。
1970年代初頭より、ドイツ・ボンでフランスの文化担当官を務め、1975年にはフランス外務省文化課に勤務した。1987年と1995年の間に、初めにザールブリュッケン、その後フランクフルト・アム・マインで、フランス語学院の校長を務めた。翻訳家としても有名になり、とりわけ、パウル・ニゾンは彼を通して初めてフランス市民に知られるようになった。
賞歴
[編集]ジャン=ルイ・デ・ランビュールは、芸術文化勲章、シュヴァリエ(騎士)を授与され、またドイツ連邦共和国一等功労十字章を受章した。
著者
[編集]- Comment travaillent les écrivains(パリ フラマリオン出版)Groupe Flammarion, 1978
- 「作家の仕事部屋」、岩崎力訳、中央公論社、1979年5月/中公文庫、2023年7月
出典
[編集]- Jean-Louis de Rambures - Article publié le 31 Mai 2006
- Par Nicole Zand - Source : LE MONDE - Taille de l'article : 267 mots
Extrait :
- Traducteur, critique, et grand connaisseur de la littérature allemande. JEAN-LOUIS DE RAMBURES, spécialiste de la littérature allemande, traducteur et critique, qui collabora pendant près de vingt-cinq ans au « Monde des livres », est mort dimanche 21 mai. Il a été enterré mardi 23 mai, à Vaudricourt (Somme). Né en 1930 à Paris, fils d'un vicomte picard et d'une Brésilienne qui le fit élever par une gouvernante allemande, tel un personnage de Thomas Mann, bilingue de naissance, il s'évada bientôt dans l'écriture des autres, passionné par le métier des écrivains, la structure de leur style et les diverses conceptions de la traduction.
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