ジャン=ルイ・ロワ
ジャン=ルイ・ロワ Jean-Louis Roy | |
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生年月日 | 1938年 |
没年月日 | 2020年3月29日 |
出生地 | スイスジュネーヴ州ジュネーヴ |
国籍 | スイス |
職業 | 映画監督 |
ジャン=ルイ・ロワ(Jean-Louis Roy、1938年 - 2020年3月29日[1])は、スイスの映画監督である。セルジュ・ゲンスブールが音楽を提供し、出演した映画『L'Inconnu de Shandigor(シャンディゴールの見知らぬ男)』(日本未公開、1967年)の監督として知られる。
来歴・人物
[編集]1954年、わずか16歳のとき、ジュネーヴのフランス語テレビ局テレヴィジオン・スイス・ロマンド(TSR)に入り、撮影、編集を経て、1963年、25歳で演出家となる。
1968年7月17日、29歳のときの脚本・監督作『L'Inconnu de Shandigor(シャンディゴールの見知らぬ男)』(1967年)がフランスで公開される。マリー=フランス・ボワイエを主演に、音楽を担当した歌手のセルジュ・ゲンスブールも出演している。脚本家のガブリエル・アルーが脚本を書かずに製作し、出演もしたこのジェームズ・ボンドを髣髴させるスパイ映画は、1967年の第20回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。
1968年、同局で出会った仲間のアラン・タネールとクロード・ゴレッタ、ミシェル・ステー、ジャン=ジャック・ラグランジュとともに「グループ5 Le Groupe 5」を結成、映画を演出した。1929年生まればかりの同グループでは10歳近く年の離れた最年少であったが、その現場たたき上げのキャリアはだれよりも長かった。
1970年、同局らと「グループ5」が共同製作した、ロワの脚本・監督作『Black Out(ブラック・アウト)』は、第20回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された。同作は、のちにレオス・カラックス監督の『ボーイ・ミーツ・ガール』をプロデュースすることになる脚本家のパトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。彼女はおなじスイスの映画監督フランシス・ロイセールの長篇デビュー作『Vive la mort』で前年の1969年にデビューしたばかりで、同年、アラン・タネール監督の長篇デビュー作『どうなったってシャルル』(1969年)に出演をしている。
TSR局内では、1972年から一貫してドキュメンタリー畑を歩み、2001年にはドキュメンタリー傑作選『Portraits passion』を企画し、2006年、定年退職した。根っからのテレビマンで映画は寡作とはいえ、日本ではまだ一本も商業公開されていない。
フィルモグラフィー
[編集]- Happy end(ハッピー・エンド) 1964年
- L'Inconnu de Shandigor(シャンディゴールの見知らぬ男) 90分 1967年 脚本・監督 製作ガブリエル・アルー、撮影ロジェ・バンパージュ、音楽・出演セルジュ・ゲンスブール、出演マリー=フランス・ボワイエ、ベン・カラザース、ダニエル・エミルフォルク、ジャック・デュフィロ、ハワード・ヴァーノン 製作フラジェア・フィルム
- Black Out(ブラック・アウト) 1971年 脚本・監督 共同脚本パトリシア・モラーズ、撮影ロジェ・バンパージュ、主演リュシ・アヴネー 製作グループ5、コンドル・フィルム、パノラ・フィルム、テレヴィジオン・スイス・ロマンド(TSR)
- L'Indien des Acacias ドキュメンタリー 1972年
- La maison des souvenirs ドキュメンタリー 1973年
- Talou テレビ映画 1981年 脚本・監督 主演リュシ・アヴネー、ジャック・デュフィロ、ミシェル・ヴィアラ 製作TF1
- Romands d'amour ドキュメンタリー 1983年
- Portraits passion テレビドキュメンタリーシリーズ 2001年
脚注
[編集]- ^ “Le réalisateur suisse Jean-Louis Roy est mort” (フランス語). 24heures.ch. (2020年3月30日) 2020年3月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- ジャン=ルイ・ロワ - IMDb
- Jean-Louis Roy - TSR公式サイトの情報ページ