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ジャーシム・ビン・ハマド・アール=サーニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャーシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
サーニー家
皇太子
任期
1996年2月2日 – 2003年8月
君主ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
個人情報
生誕 (1978-08-25) 1978年8月25日(46歳)
ドーハ
配偶者ブタイナ・ビント・ハマド・アール=サーニー
ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー
宗教イスラム教スンニ派

ジャーシム・ビン・ハマド・アール=サーニー1978年8月25日 - 、アラビア語: جاسمبنحمدبنخليفةآلثاني‎)、は、カタール王族元皇太子。母校はサンドハースト王立陸軍士官学校。家名はサーニー家

略歴

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前首長ハマドとハマド第2夫人モーザ皇太后の第1子。弟はタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー首長など。1996年に皇太子に立てられた

皇太子だったが、2003年8月に廃され、代わりに弟タミームが皇太子となった[1]。廃位の理由は明らかにされていないが、重度の糖尿病が原因ではないかという噂がある[2]。2013年6月25日より父ハマドの譲位により弟タミームが首長を務めている[3]

前半生

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皇太子時代

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1978年のドーハ生まれ。宗教は国教のイスラム教スンニ派。また、父ハマドや弟タミームも母校とするサンドハースト王立陸軍士官学校出身。

この学校には過去名だたる著名人が卒業しており、ギリシャ元王太子パウロスや、スペイン国王アルフォンソ12世ヨルダン国王アブドゥッラー2世リヒテンシュタイン侯世子アロイスボツワナ大統領イアン・カーマ、ブルネイ国王ハサナル・ボルキアなど、各国の王族や貴族、政治家も教育を受けた学校ということで有名であり、名門の軍事学校として知られている[4]

1996年に皇太子となる[1][出典無効]

廃位

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しかし2003年8月に廃され、代わりに弟タミームが皇太子となった[1]。廃位の理由はカタール政府によっては発表されておらず、メディアも確実な報道はできていない。ただ、前述の通り糖尿病のために公務が難しいためではないかと噂されている[1][出典無効]。なお、2013年6月25日より弟タミームが首長を務めている[3]

家族

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  • 父:ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー[5][出典無効]
  • 母:ハマド第2夫人モーザ皇太后[5][出典無効]
  • 弟:タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーなど[1]
  • 妻:ブタイナ・ビント・ハマド・アル=サーニー[5][出典無効]
  • 息子
    • シェイク・ハマド・ビン・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイク・ファハド・ビン・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイク・タミム・ビン・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイカ・モザ・ビント・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイカ・ヒンド・ビント・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイカ・アル・マヤッサ・ビント・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイカ・ダイ・ビント・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー
    • シェイカ・ガンド・ビント・ジャシム・ビン・ハマド・アール=サーニー

脚注

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  1. ^ a b c d e カタール国の政治・経済の概要”. 在カタール日本国大使館 (2006年11月). 2013年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。
  2. ^ 前田高行 (2006年9月13日). “アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化”. 新・アラビア半島定点観測. (カタル特集)カタルとアル・サーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと(第2回). 2023年2月10日閲覧。
  3. ^ a b カタールの歴史”. 在カタール日本国大使館 (2018年9月12日). 2023年2月10日閲覧。
  4. ^ Chisholm, Hugh, (22 Feb. 1866–29 Sept. 1924), Editor of the Encyclopædia Britannica (10th, 11th and 12th editions), Oxford University Press, (2007-12-01), https://doi.org/10.1093/ww/9780199540884.013.u194658 2023年2月10日閲覧。 (Paid subscription required要購読契約)
  5. ^ a b c シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アール・サーニー首長略歴”. 日本国外務省 (2007年8月). 2013年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。

関連項目

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