サーニー家
サーニー家 آل ثاني | |
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王家 | |
国 | カタール |
主家 | マアーディード族 |
当主称号 |
ハーキム アミール |
創設 | 1825年 |
家祖 | サーニー・ビン・ムハンマド |
現当主 | タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー |
民族 | アラブ人 |
サーニー家(آل ثاني Āl-Thānī)は、現在のカタールの首長の王族。マアーディード族(المعاضيد al-Ma'ādīd) (Al-Maadeed) に属する。
カタールは1766年にクウェートから移住してきたハリーファ家が支配し、さらにペルシャからバーレーン島を奪うとハリーファ家が支配するバーレーンの統治下にあった。サーニー家はカタール土着の豪族で、19世紀前半に度々反旗を翻すが1840年に1度鎮圧される[1]。その後も抗争は続き、 19世紀中頃よりイギリスと提携し、イギリスの保護領の形でカタール支配を確立した。現在は独立国カタールをサーニー家の世襲による首長制(絶対君主制の一種)で治めている。
首長以外の一族の影響力も強く、2002年の内閣閣僚の6割はサーニー家が占めていた[1] が、2013年6月にタミームが首長となり新たに任命した20人の閣僚の内、サーニー家は首相を含め3人であった[2]。 また、サーニー家以外では、アティーヤ家(Attiyah)がカタールの有力家族であり[1]、元外相ハーリド・ビン・ムハンマド・アル=アティーヤや元国防大臣のハマド・ビン・アリー・アル=アティーヤがいる[2]。また、アブドゥッラー・ビン・ハマド・アル=アティーヤ (Abdullah Bin Hamad Al-Attiyah) が国副首相兼エネルギー・工業大臣として2007年11月に来日している[3]。
名前について
[編集]アール=サーニー家の一族の名前の始めには、よく「H.H.」(HH)が使われる。これは英語"His(Her) Highness"の略であり、王族に対する称号である。現在のカタールの場合は首長一家全員に与えられる[4](アラブ各国で事情が異なるので注意)。
「H.E.」は"His/Her Excellency"を意味し、現在のカタールでは政府機関の長などに与えられる称号である。ただし、H.H.の称号が許されている者はH.H.が優先される[4]。
「Shaikh」(シャイフまたはシェイフ、男性)、「Shaikha」(シャイハまたはシェイハ、女性)は、現在のカタールでは首長一族全員に与えられる[4]。
「bin」は「誰々の息子」を意味する接続詞で、「本人・ビン・父・ビン・祖父」のように使われる[4]。「bint」は「誰々の娘」を意味する。
「Amir」は首長を意味する称号である[4]。
サーニー家(アール=サーニー)の主な人物の一覧は、下記の通りである。本記事では男子に関しては、名前のうち本人の名と父の名(「本人・ビン・父」)のみを記す。
歴代首長
[編集]- サーニー・ビン・ムハンマド(Sheikh Thani bin Muhammed)
- ムハンマド・ビン・サーニー(Sheikh Muhammad bin Thani)
- 1850年から1878年までカタール2代目ハーキム。
- ジャーシム・ビン・ムハンマド(H.H.Sheikh Jassim bin Muhammed Al Thani)
- ムハンマド・ビン・ジャーシム(H.H.Sheikh Muhammed bin Jassim Al Thani)
- アブドゥッラー・ビン・ジャーシム(H.H Sheikh Abdullah bin Jasssim Al Thani)(1880年 - 1957年)
- アリー・ビン・アブドゥッラー(H.H.Sheikh Ali bin Abdullah Al Thani)(1895年 - 1974年)
- 1949年から1960年までカタール4代目アミール。
- アフマド・ビン・アリー(H.H.Sheikh Ahmad bin Ali Al Thani)(1917年 - 1977年)
- 1960年から1972年までカタール5代目アミール。イギリスから独立時の首長。
- ハリーファ・ビン・ハマド(H.H.Sheikh Khalifa bin Hamad Al Thani)(1932年 - 2016年)
- ハマド・ビン・ハリーファ(H.H.Shaikh Hamad bin Khalifa Āl-Thānī)(1952年 - )
- タミーム・ビン・ハマド(HH Sheikh Tamim Bin Hamad AL-THANI)(1980年6月3日 - )
現在の主要人物
[編集]- アブドッラー・ビン・ハリーファ (H.H. Sheikh Abdulla Bin Khalifa AL-THANI)(1958年 - )
- モーザ皇太后 (Sheikha Mozah Bint Nasser Al-Missned) (1959年 - )
- 前首長ハマド・ビン・ハリーファの第2夫人。ハマドの母と同じミスナド家出身。現首長タミーム・ビン・ハマドの母[9]。
- ハマド・ビン・アブドッラー(H.H Sheikh Hamad bin Abdulla bin Khalifa Al-THANI)
- アブドッラー・ビン・ハリーファの長男で、QIPCOのCEO。
- ハマド・ビン・ジャーシム(Hamad bin Jassim bin Jaber Al Thani)(1959年 - )
- アブドッラー・ビン・ナーセル(Abdullah bin Nasser bin Khalifa Al Thani)(1965年 - )
- 首相(在職2013年6月26日 - )。
- ジャーシム・ビン・ハマド(Sheikh Jassim bin Hamad Al Thani)(1978年 - )
- 前首長ハマドの三男。第2夫人モーザ皇太后の第1子[6]。現首長タミームの同母兄。皇太子だったが2003年8月に廃され、代わって弟タミームが皇太子となった[5]。廃太子の理由は公式には明らかではないが、重度の糖尿病のためとの噂がある[6]。
- ジョーアーン・ビン・ハマド(Sheikh Joaan Bin Hamad AL-THANI)(1985年 - )
- 前首長ハマドの子。ジャーシム、タミームの同母弟。
- アブドッラー・ビン・ハマド・アール=サーニー(1988年 -)
- 現副首長(2014年11月-)。前首長ハマドの子、タミームの異母弟。
- アブドッラー・ビン・ハーリド (Abdullah Bin Khalid Al-Thani)
- 元内務大臣。
- アブドッラー・ビン・ムハンマド (Sheikh Abdullah Bin Mohammed Al Thani)
- シャールジャ国際空港の管理者。
- サウード・ビン・アブドゥッラフマーン(Sheikh Saud bin Abdulrahman AL-THANI)
- カタールオリンピック委員会専務理事。
注釈、出典
[編集]- ^ a b c d 『カタル・サーニー家の構図 』 - 前田高行、2002年12月22日
- ^ a b “Qatari Amir unveils new cabinet set-up”. Kuwait News Agency. (2013年6月26日) 2013年6月28日閲覧。
- ^ http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/area/quatar/visit/0711.html - 外務省
- ^ a b c d e 「アラブ人名の由来と正しい呼び方」(PDF 204KiB) - 日本貿易振興機構リヤド事務所編
- ^ a b カタール国の政治・経済の概要 - 在カタール日本国大使館
- ^ a b c アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
- ^ a b QATAR - World Who's Who
- ^ “カタール首長、四男の皇太子に譲位”. 産経ニュース. (2013年6月25日) 2013年6月25日閲覧。
- ^ 輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃