ジュリー・ロンドン
ジュリー・ロンドン Julie London | |
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1948年宣材写真 | |
基本情報 | |
出生名 | Gayle Peck |
別名 | Julie Peck |
生誕 | 1926年9月26日 |
出身地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンタローザ |
死没 |
2000年10月18日(74歳没) アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスエンシノ |
ジャンル | ジャズ |
職業 |
歌手 女優 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1944年 - 1979年 |
レーベル |
ベツレヘム・レコード リバティ・レコード |
ジュリー・ロンドン(Julie London、1926年9月26日 - 2000年10月18日)は、アメリカ合衆国の女優、歌手。本名、ゲイル・ペック(Gayle Peck)。身長157cm[1]。
来歴・人物
[編集]1926年9月26日、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタローザに生まれる。両親はヴォードヴィルの歌と踊りのチームでラジオ番組を持っていた。幼い頃のジュリーもその番組に出演しており、3歳の時にはマレーネ・ディートリヒのヒット曲「フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン」を披露している。
1941年、ロサンゼルスに移住するとともに、15歳でエレベーターガールとして就職する。まもなく、俳優のエージェントをしていたスー・キャロル(故アラン・ラッド夫人)にその美貌を評価され、芸能界にスカウトされる。
1944年、『ジャングルの妖女』で映画女優としてデビュー。『赤い家』『愛と血の大地』『機動部隊』などの映画にワーナーニューフェイスとして出演したが、女優としては幸運に恵まれない下積み時代を過ごした。
1947年に役者のジャック・ウェッブ(Jack Webb)と結婚し、徐々に主婦業に集中する。二人の娘を出産。
1953年に離婚。ボビー・トゥループ(Bobby Troup)の勧めで芸能界へ復帰。歌手に転向し、ナイトクラブで歌うようになる。ジャズピアニストで「ルート66(Route 66)」の作曲家としても有名なトゥループの指導を受け、本格的なジャズシンガーとしてのキャリアをスタートさせた。
1955年、ファーストアルバム『Julie Is Her Name(邦題:彼女の名はジュリー)』を録音。同アルバム内からシングル・カットされた『クライ・ミー・ア・リバー(Cry Me a River)』がヒットして一躍人気歌手となり、同時に映画活動も再開。『女はそれを我慢できない』『西部の人』などに出演するなど、一躍スターとなる。歌手としては主にスタンダード・ナンバーを数多く歌い、レコードを発表している。また、『You'd Be So Nice To Come Home To(帰ってくれれば嬉しいわ)』は、日本ではヘレン・メリルの歌唱がよく知られているが、アメリカではジュリー・ロンドン版もヒットした。
1959年12月31日、トゥループと結婚し、トゥループのプロデュースでアルバムもリリースした。
1964年にはボビー・トゥループ楽団とともに来日も果たし、都内赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテン・クオーター」に連日出演した。特に5月25日の演奏は実況録音され、後年「ジュリー・ロンドン・ライヴ・アット・ニュー・ラテン・クオーター」としてCD化されている。
また5月28日にはTBS(東京放送)のスタジオに招かれて演奏を披露し、特別番組『The Julie London Show』(TBS)として録画されている。
その後はテレビドラマ『エマージェンシー!』などでテレビや映画に出演しているものの、歌手としての一線は退いている。
1995年に脳卒中で倒れてから体調を崩すようになる。
2000年10月18日、カリフォルニア州エンシノにある病院で、心臓病のため74歳で死去。アメリカ、イギリス、日本の各報道機関がジュリーの死を報じた。ジュリーがかなりのアルコール好きだったことが死因に関係しているとされる。
人気の理由として、その美貌と共にハスキーボイスが挙げられる。ジュリーの声は「スモーキー・ヴォイス」とも呼ばれていた。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの「7000 Hollywood Blvd.」(レコード分野)には、ジュリーの星がある。
女優活動
[編集]映画
[編集]- ジャングルの妖女(1944年)
- 赤い家(1947年)
- 愛と血の大地(1948年)
- 機動部隊(1949年)
- 帰って来た男(1950年)
- 女はそれを我慢できない(1957年)
- 西部の旅がらす(1958年)
- 西部の人(1958年) - ゲイリー・クーパーと共演
- ギャング紳士録(1967年)
- 0011ナポレオン・ソロ スラッシュの要塞(1967年)
テレビドラマ
[編集]- エマージェンシー!(1972年 - 1977年) - ディキシー・マッコール婦長 役
音楽活動
[編集]代表曲
[編集]- 1957年のソフィア・ローレン、アラン・ラッド主演の映画『島の女』(原題:『Boy on a Dolphin』)主題歌。ジュリーは歌のみで出演はしていない。
アルバム
[編集]アルバムはいずれもリバティ・レコードから発売。
- 彼女の名はジュリー
- ロンリー・ガール
- カレンダー・ガール
- アバウト・ザ・ブルース
- メイク・ラヴ・トゥー・ミー
- ジュリー
- 彼女の名はジュリー vol.2
- ロンドン・バイ・ナイト
- スイング・ミー・アン・オールド・ソング
- ユア・ナンバー・プリーズ
- ジュリー・アット・ホーム
- アラウンド・ミッドナイト
- センド・フォー・ミー
- ホワットエヴァー・ジュリー・ウォンツ
- ソフィスティケイテッド・レディ
- ラヴ・レターズ
- ラヴ・オン・ザ・ロックス
- ラテン・イン・ア・サテン・ムード
- この世の果てまで(ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド)
- ザ・ワンダフル・ワールド・オブ・ジュリー・ロンドン
- ユー・ドント・ハヴ・トゥー・ビー・ア・ベイビー・トゥー・クライ
- イン・パーソン・アット・ジ・アメリカーナ
- アワ・フェア・レディ
- フィーリング・グッド
- オール・スルー・ザ・ナイト
- フォー・ザ・ナイト・ピープル
- ナイス・ガールズ・ドント・ステイ・フォー・ブレックファスト
- ウィズ・ボディ・アンド・ソウル
- イージー・ダズ・イット
- ヤミー・ヤミー・ヤミー
編集盤
[編集]- ジュリー・ロンドン・シングル・コレクション vol.1
- ジュリー・ロンドン・シングル・コレクション vol.2
- 2010年発売の「ジュリー・ロンドン・オリジナル紙ジャケ・コレクション・シリーズ」のキャンペーンで応募者に配布された特典CD。アルバム未収録のシングル・EPの曲が収録されている。各CDの解説書に付属の応募券10枚で、上記2枚の内1枚が応募者にプレゼントされた。
特別番組『The Julie London Show』
[編集]初来日の1964年5月28日にTBSで収録された特別番組で、ボビートゥループ楽団とともに下記楽曲を披露した。
- Lonesome Road
- Bye Bye Blackbird
- Daddy
- My Baby Just Cares For Me
- Fly Me To The Moon
- Send For Me
- Come Rain Or Come Shine
- I Left My Heart In San Francisco
- Route 66(ボビー・トゥループによる歌唱)
- Sweet Georgia Brown(ボビー・トゥループによる歌唱)
- Tenderly
- My Funny Valentine 〜 Misty
- Deed I Do
- Let There Be Love
- You'D Be So Nice To Come Home To
- Kansas City
- Cry Me A River
ボビー・トゥループは『Route 66』を歌った後、一礼してから日本語で「みなさん、こんばんは。ボビー・トゥループです。日本に来て、大変うれしいです。どうぞ、よろしく」と挨拶した。
映像は1987年に東芝EMIよりレーザーディスクとVHSで販売された。
脚注
[編集]- ^ “Julie London” (英語). IMDb. 2022年11月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- ジュリー・ロンドン - IMDb
- EMIミュージック・ジャパンによるアーティストページ
- Julie London - Bye Bye Blackbird - YouTube
- Julie London - You'd Be So Nice To Come Home To - YouTube
- Julie London - Cry me a river (HQ Audio) - YouTube
- Julie London - Misty - YouTube
- Julie London - Fly me to the moon - YouTube
- Julie London - Boy from Ipanema - YouTube