ジョン・パティトゥッチ
ジョン・パティトゥッチ John Patitucci | |
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Kongsberg Jazzfestival(2018年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1959年12月22日(64歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン |
学歴 | サンフランシスコ州立大学、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校 |
ジャンル | ジャズ、フュージョン |
職業 | ベーシスト |
担当楽器 | エレクトリックベース、ウッドベース |
活動期間 | 1980年 - |
公式サイト |
www |
ジョン・パティトゥッチ(John Patitucci、1959年12月22日 - )は、アメリカ人のベーシスト、作曲家、音楽家である。
略歴
[編集]ニューヨーク市ブルックリンでイタリア系の家系に生まれ、10歳からエレクトリック・ベースを、15歳からはアコースティック・ベースを演奏するようになる。スタジオ・ミュージシャンとして数々のセッションに参加。B.B.キングやジョージ・ベンソンなどのバックを務めた。
1985年、チック・コリアの「チック・コリア・エレクトリック・バンド」に参加[1]。1987年には、チックの参加を得てデビュー・アルバム『ジョン・パティトゥッチ』を発表。6弦ベースの高音域での高速フレーズをオーバーダビングする演奏は、ギターのソロと聞き間違えられるほどであった。1988年、デイヴ・ウェックルとのコンビでマンハッタン・ジャズ・クインテットに参加。1989年には「エレクトリック・バンド」が「アコースティック・バンド」に進化、エレクトリック・ベースをアコースティック・ベースに持ち替えても同様のテクニックを見せた。その後1991年にチックの元から離れてからも、自己のバンドとセッションワークの両方を精力的にこなす。
2000年にはドラムのブライアン・ブレイドと共にウェイン・ショーターのグループに参加。2001年には同じコンビでハービー・ハンコックの「ディレクションズ・イン・ミュージック」に参加。その後も、チック、ウェイン、ハービーら大御所との共演は断続的に続いた。2002年からは、ニューヨーク市立大学で教職にもついている。2005年にはグレイト・ジャズ・トリオに参加。
フュージョンからストレート・アヘッドなジャズまで幅広くこなし、共演ミュージシャンは他にもマイケル・ブレッカー、ゲイリー・バートン、スティーヴ・カーン、マイク・スターン、ジョン・スコフィールド、アル・ディ・メオラなどの若手・中堅から、スタン・ゲッツ、ハンク・ジョーンズ、ドン・フリードマンらベテランまで、さらにはスティング、ナタリー・コールなどのポップ・ミュージシャンやミルトン・ナシメント、イヴァン・リンスなどのブラジル系のミュージシャンにまで及び、押しも押されもせぬトップ・ベーシストとなった。
ディスコグラフィ
[編集]リーダー・アルバム
[編集]- 『ジョン・パティトゥッチ・デビュー!』 - John Patitucci (1987年、GRP)
- 『オン・ザ・コーナー』 - On the Corner (1989年、GRP)
- 『スケッチブック』 - Sketchbook (1990年、GRP)
- Heart of the Bass (1992年、Stretch)
- 『アナザー・ワールド』 - Another World (1993年、GRP)
- 『ファイン・ミキスチャー』 - Mistura Fina (1995年、GRP)
- One More Angel (1997年、Concord)
- Now (1998年、Concord)
- Imprint (2000年、Concord)
- 『コミュニオン』 - Communion (2001年、Concord)
- Songs, Stories & Spirituals (2003年、Concord)
- 『ライン・バイ・ライン』 - Line by Line (2006年、Concord)
- 『リメンブランス』 - Remembrance (2009年、Concord)
- Brooklyn (2015年、Three Faces)
- 『ソウル・オブ・ザ・ベース』 - Soul of the Bass (2019年、AGATE)
脚注
[編集]- ^ “Chick Corea”. The National Endowment for the Arts 2021年2月15日閲覧。