ジョージ・オズボーン (第6代リーズ公爵)
第6代リーズ公爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・オズボーン(英語: George William Frederick Osborne, 6th Duke of Leeds KG PC、1775年7月21日 ロンドン – 1838年7月10日 ロンドン)は、イングランド貴族。トーリー党に所属し、1827年から1830年まで主馬頭を務めた[1]。1775年から1789年までダンビー伯爵の、1789年から1799年までカーマーゼン侯爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第5代リーズ公爵フランシス・オズボーンと1人目の妻アメリア(旧姓ダーシー、1754年10月12日 – 1784年1月27日)の息子として、1775年7月21日にメイフェアのグローヴナー・スクエアで生まれ、8月15日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアで洗礼を受けた[1]。1784年1月27日に母が死去すると、ダーシー・ド・ネイス男爵位とコンヤーズ男爵位を継承、1798年4月27日に貴族院がオズボーンによるコンヤーズ男爵位継承を承認したことで同年5月に貴族院議員に就任した[1]。1799年1月31日に父が死去すると、リーズ公爵位を継承、1801年11月3日にリーズ公爵として貴族院議員に就任した[1]。
1799年7月にノース・ミムズの地所を売却した[1]。1811年に住居のキヴィトン・ホールを解体して、ノース・ヨークシャーのホーンビー城に引っ越した[1]。
1801年から1838年に死去するまでシリー諸島総督を[1]、1802年4月10日から1838年7月10日までノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監を務めた[2]。
ジョージ・カニング内閣期の1827年5月4日に主馬頭に任命され[3]、10日には枢密顧問官にも任命され、ガーター勲章を授与された[4]。以降1830年まで主馬頭を務めた[1]。ウェリントン公爵=ピール内閣(1828年 – 1830年)では首相の初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーがカトリック解放支持に転じ、リーズ公爵はそれに同調したトーリー党員の1人だった[1]。
1838年7月2日に繰上勅書を受けてキヴィトンのオズボーン男爵位を長男フランシス・ジョージ・ゴドルフィン・ダーシーに譲ったが、直後の7月10日にロンドンで死去、16日にメリルボーンのホーリー・トリニティ教会に埋葬された[1]。長男がリーズ公爵などの爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1797年8月17日、シャーロット・タウンゼンド(1776年3月16日 – 1856年7月30日、初代タウンゼンド侯爵ジョージ・タウンゼンドの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[5]。
- フランシス・ジョージ・ゴドルフィン・ダーシー(1798年5月21日 – 1859年5月4日) - 第7代リーズ公爵
- シャーロット・メアリー・アン・ジョージアナ(Charlotte Mary Anne Georgiana、1801年7月16日 – 1836年1月17日[6]) - 1826年5月22日、サックヴィル・レーン=フォックスと結婚、子供あり。第12代コンヤーズ男爵サックヴィル・レーン=フォックスの母
- コンヤーズ・ジョージ・トマス・ウィリアム(1812年5月6日 – 1831年2月16日)
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 516–517.
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
- ^ "No. 18358". The London Gazette (英語). 4 May 1827. p. 985.
- ^ "No. 18360". The London Gazette (英語). 11 May 1827. p. 1033.
- ^ "Leeds, Duke of (E, 1694 - 1964)". Cracroft's Peerage (英語). 1 August 2007. 2021年1月18日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 409.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the 6th Duke of Leeds
- ジョージ・オズボーン - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョージ・オズボーンの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
公職 | ||
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先代 ドーセット公爵 |
主馬頭 1827年 – 1830年 |
次代 アルベマール伯爵 |
名誉職 | ||
空位 最後の在位者 第5代リーズ公爵
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シリー諸島総督 1801年 – 1838年 |
次代 オーガスタス・スミス |
先代 フォーコンバーグ伯爵 |
ノース・ライディング・オブ・ヨークシャー統監 1802年 – 1838年 |
次代 ゼットランド伯爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 フランシス・オズボーン |
リーズ公爵 1799年 – 1838年 |
次代 フランシス・オズボーン |
オズボーン男爵 (繰上勅書により) 1799年 – 1838年 | ||
先代 アメリア・オズボーン |
ダーシー・ド・ネイス男爵 1784年 – 1838年 | |
コンヤーズ男爵 1784年 – 1838年 |