ジョージ・ビング (第3代トリントン子爵)
第3代トリントン子爵ジョージ・ビング(英語: George Byng, 3rd Viscount Torrington、1701年9月21日 – 1750年4月7日)は、グレートブリテン王国の貴族、イギリス陸軍の軍人。
生涯
[編集]初代トリントン子爵ジョージ・ビングと妻マーガレット(Margaret、旧姓マスター(Master)、1670年2月22日 – 1756年4月1日、ジェームズ・マスターの娘)の息子として、1701年9月21日に生まれた[1]。
1715年にコルネット(騎兵少尉)としてロイヤル・ホース・ガーズに入隊、1716年8月25日に大尉に昇進した[1]。四国同盟戦争において父が地中海艦隊の指揮官を務めたとき、父に同行して、1718年のパッサロ岬の海戦戦勝の報せを本国に届けた[1]。その後、オーストリア軍の志願兵として1719年6月20日のフランカヴィッラの戦いに参戦して重傷を負った[1]。1721年1月25日にスコッツガーズのCaptain and Lieutenant Colonelに昇進した[1]。1741年1月2日に連隊のSecond Major(軍階としては歩兵大佐)に[2]、1743年4月23日にFirst Majorに[3]、1743年9月13日にLieutenant Colonel(副隊長)に昇進した[1][4]。1744年から1748年までマリンズ第4連隊隊長を務め、1749年7月24日から1750年に死去するまで第48歩兵連隊隊長を務めた[1]。1745年6月18日に准将に[5]、1747年10月10日に少将に昇進した[6]。
1747年1月23日に兄パティーが死去すると、トリントン子爵位を継承した[1]。政治ではホイッグ党に属するとされた[1]。
1750年4月7日に死去、15日にサウスヒルで埋葬された[1]。同名の息子ジョージが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1736年8月21日、エリザベス・ダニエル(Elizabeth Daniel、1759年3月17日没、ライオネル・ダニエルの娘)と結婚[1]、2男をもうけた[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 791–793.
- ^ "No. 7976". The London Gazette (英語). 30 December 1740. p. 2.
- ^ "No. 8216". The London Gazette (英語). 19 April 1743. p. 3.
- ^ "No. 8257". The London Gazette (英語). 10 September 1743. p. 2.
- ^ "No. 8441". The London Gazette (英語). 15 June 1745. p. 2.
- ^ "No. 8682". The London Gazette (英語). 6 October 1747. pp. 1–2.
- ^ Lodge, Edmund (1907). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語). Vol. 2 (76th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 1718.
軍職 | ||
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先代 ジョン・ウィニアード |
マリンズ第4連隊隊長 1744年 – 1748年 |
連隊解散 |
先代 ヘンリー・シーモア・コンウェイ閣下 |
第48歩兵連隊隊長 1749年 – 1750年 |
次代 ヒューム伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 パティー・ビング |
トリントン子爵 1747年 – 1750年 |
次代 ジョージ・ビング |