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パティー・ビング (第2代トリントン子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴドフリー・ネラーによる肖像画、1720年ごろ。

第2代トリントン子爵パティー・ビング英語: Pattee Byng, 2nd Viscount Torrington PC PC (Ire)1699年5月25日洗礼 – 1747年1月23日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。ホイッグ党に属し、庶民院議員(在任:1721年 – 1733年)、海軍財務長官(在任:1724年 – 1734年)、アイルランド副大蔵卿英語版(在任:1734年 – 1746年)、国王親衛隊隊長(在任:1746年 – 1747年)を歴任した[1]

生涯

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初代トリントン子爵ジョージ・ビングと妻マーガレット(Margaret、旧姓マスター(Master)、1670年2月22日 – 1756年4月1日、ジェームズ・マスターの娘)の息子として生まれ、1699年5月25日にベッドフォードシャーサウスヒル英語版で洗礼を受けた[1]。1713年3月から1715年8月までグランドツアーに出た[2]

1712年[2]/1715年にコルネット英語版(騎兵少尉)としてロイヤル・ホース・ガーズ英語版に入隊、1716年8月25日に大尉に昇進した[1]。1718年から1720年までの四国同盟戦争で父が地中海艦隊の指揮官を務めたとき、ビングは父と同行して、パッサロ岬の海戦の勝利の報せを本国に届けた[1]。また1718年3月には父の功績により600ポンドの年金を与えられた[2]

1721年にプリマス選挙区英語版の現職議員だった父が子爵に叙されると、ビングは同年の補欠選挙に出馬して当選した[3]。1724年4月18日には父の後任として海軍財務長官に就任した[2][4]。同年の結婚に伴い父からサウスヒルの地所を与えられた後[2]1727年イギリス総選挙ホイッグ党候補としてベッドフォードシャー選挙区英語版から出馬、第3代サンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギュートーリー党候補2人を推薦して選挙戦となったが、ビングは1,343票でトップ当選した[5]

1732年5月4日、グレートブリテン枢密院の枢密顧問官に任命された[1][6]。1733年1月17日に父が死去すると、トリントン子爵位を継承した[1]

1734年春[7]に海軍財務長官を辞してアイルランド副大蔵卿英語版に転じ、同年7月19日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[2]。1746年に国王親衛隊隊長に転じた[2]

1747年1月23日に死去、31日にサウスヒルで埋葬された[1]。息子2人に先立たれたため、弟ジョージが爵位を継承した[1]

家族

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1724年6月11日、シャーロット・モンタギュー英語版(1759年9月14日没、初代マンチェスター公爵チャールズ・モンタギューの四女)と結婚[1]、2男をもうけた。

  • ジョージ(1728年ごろ – 1730年5月15日) - 夭折[1]
  • フレデリック(1735年12月9日 – 1736年1月10日埋葬) - 夭折[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 791–792.
  2. ^ a b c d e f g Matthews, Shirley (1970). "BYNG, Hon. Pattee (1699-1747), of Southill, Beds.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年4月10日閲覧
  3. ^ Matthews, Shirley (1970). "Plymouth". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年4月10日閲覧
  4. ^ "No. 6260". The London Gazette (英語). 14 April 1724. p. 1.
  5. ^ Lea, R. S. (1970). "Bedfordshire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年4月10日閲覧
  6. ^ "No. 7088". The London Gazette (英語). 2 May 1732. p. 1.
  7. ^ "No. 7289". The London Gazette (英語). 13 April 1734. pp. 6–7.

外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ジョージ・ビング
サー・ジョン・ロジャース準男爵英語版
庶民院議員(プリマス選挙区英語版選出)
1721年 – 1727年
同職:サー・ジョン・ロジャース準男爵英語版 1721年 – 1722年
ウィリアム・リチャード・チェットウィンド英語版 1722年 – 1727年
次代
アーサー・スタート英語版
ジョージ・トレビー英語版
先代
チャールズ・リー閣下英語版
サー・ローランド・アルストン準男爵英語版
庶民院議員(ベッドフォードシャー選挙区英語版選出)
1727年 – 1733年
同職:サー・ローランド・アルストン準男爵英語版
次代
チャールズ・リー閣下英語版
サー・ローランド・アルストン準男爵英語版
公職
先代
初代トリントン子爵
海軍財務長官
1724年 – 1734年
次代
アーサー・オンズロー
先代
初代ファルマス子爵
リチャード・エッジカム
アイルランド副大蔵卿英語版
1734年 – 1746年
同職:リチャード・エッジカム 1734年 – 1742年
ヘンリー・ヴェイン閣下 1742年 – 1744年
第3代チャムリー伯爵 1744年 – 1746年
次代
サー・ウィリアム・ヤング準男爵英語版
第3代チャムリー伯爵
先代
第5代ストラットンのバークリー男爵
国王親衛隊隊長
1746年 – 1747年
次代
第2代ファルマス子爵
グレートブリテンの爵位
先代
ジョージ・ビング
トリントン子爵
1733年 – 1747年
次代
ジョージ・ビング