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海軍財務長官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1577年から1595年までの海軍財務長官ジョン・ホーキンス、1581年画。

海軍財務長官[1](かいぐんざいむちょうかん、: Treasurer of the Navy)、または海軍主計長官[2](かいぐんしゅけいちょうかん)、海軍主計官[3](かいぐんしゅけいかん)、海軍会計官[4](かいぐんかいけいかん)、海軍出納長[5](かいぐんすいとうちょう)、海軍財務官[6](かいぐんざいむかん)は、イギリス海軍の役職。16世紀、ヘンリー8世の治世中に創設され、1836年に廃止された[7]

解説

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創設

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1524年9月よりイギリス海軍Keeper of storehousesを務めたサー・ウィリアム・ゴンソン英語版は1544年に死去するまでの20年間、海軍の実質的な行政長官として権勢をふるまい、正式な任命はなかったものの海軍の「財務長官」(Treasurer)または「支払総監」(Paymaster)とされた[8][9]。1544年秋、ゴンソンの後任としてブリストル出身の商人ジョン・ウィンター(John Winter、1545年11月/12月没)が海軍財務長官(または支払総監)に就任したが、海軍の行政再編の最中にあってわずか1年で死去したため、特許状による正式任命はなかった[10]。1546年4月24日にロバート・レッグ(Robert Legge)が特許状による任命を受け、それ以降の任命は国璽が押印された特許状(letters patent)の形で行われるようになった[7]

当初は終身任命だったが、1673年に退任した初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリー以降は任期が陛下の仰せのままにとなった[7]

職務

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1509年時点のイギリス海軍では支払いが任務ごとにその場限りで士官に支払われたが、ゴンソンは海軍の支払総監としての実務に関わり、1544年までに海軍における支払いがほぼすべてゴンソンの手を経由するようになった[11]。また海軍の規模拡大により、海軍に対する支払の認可状(warrant)の内容が極めて細かく指定される任務に対する支払いから海軍全般への支払いに変わり、その使い道が海軍財務長官に一任されるようになった[12]。すなわち、1545年には国王や枢密院が船員ごとの俸給から物資の購入まで一つずつ支出を承認する必要があったところ、1547年には海軍全体に対し多額の金銭を支出するだけで済み、その具体的な使い道は海軍が内部で決定した[12]。この改革は1557年に平時の海軍年間予算が定められた形で完成をみた[12]

財務長官に対する会計監査の手続きは1546年のレッグに対する特許状で明記された[12]。この手続きはかなり簡素なものであり、レッグが監査人のもとに出向いて、海軍委員会の委員2、3人の認可を得た自身の会計記録簿、および任命の特許状を提出するだけで会計監査が完了した[12]。すなわち、監査人は財務長官の決定した支出を否決する権限がなく、海軍委員会が支出の使い道への最終決定権を有した[12]

俸給

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ゴンソンの俸給は日給1シリングだったが、1546年に海軍財務長官が正式に創設されたとき、俸給が大幅に引き上げられることとなった[13]。特許状に記載された年俸は当初100マークだったが、時代を下るとともに引き上げられた[7]清教徒革命期には議会派のリチャード・ハッチンソン(Richard Hutchinson)が年俸1,000ポンドで任命されたが、王党派初代準男爵サー・ジョージ・カートレット英語版は年俸100ポンドで任命された[7]王政復古の後、1667年に任命された初代アングルシー伯爵アーサー・アンズリーの年俸も100ポンドだったが、1673年のエドワード・シーモア英語版は2,000ポンド、1689年のエドワード・ラッセルは3,000ポンドだった[7]。1699年の第3代準男爵サー・トマス・リトルトン英語版で一旦2,000ポンドに下がったものの、1818年のフレデリック・ジョン・ロビンソン閣下で再び3,000ポンドに上がった[7]

廃止

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最後の海軍財務長官である第4代準男爵サー・ヘンリー・パーネル英語版ジョン・ドイル画、1832年出版。

最後の海軍財務長官である第4代準男爵サー・ヘンリー・パーネル英語版は1835年4月より軍事支払総監を兼任した[14]。そして、1836年12月1日の特許状により軍事支払総監、海軍会計長官、兵站会計長官英語版チェルシー王立病院英語版支払及び会計長官が支払総監英語版に統合され、パーネルは支払総監に移行した[14]

一覧

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1689年から1699年までの海軍財務長官エドワード・ラッセルトマス・ギブソン英語版画、1715年ごろ。

出典

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  1. ^ 浜林正夫ウォルポール」『改訂新版 世界大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%ABコトバンクより2024年11月1日閲覧 
  2. ^ グレンビル」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%ABコトバンクより2024年11月1日閲覧 
  3. ^ 越智武臣ホーキンズ」『改訂新版 世界大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BAコトバンクより2024年11月1日閲覧 
  4. ^ ダンダス」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』https://kotobank.jp/word/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9コトバンクより2024年11月1日閲覧 
  5. ^ 大西, 晴樹「イギリス・ピューリタン革命と「商船船乗り」(merchant-seaman)層 ―軍事財政国家の出発点―」『研究所年報』第19号、明治学院大学産業経済研究所、2002年、75頁。 
  6. ^ 中村, 武司「長い18世紀イギリスにおける軍人・議会・選挙区(1)」『人文社会科学論叢』第10巻、弘前大学人文社会科学部、2021年2月、19頁、hdl:10129/00007390ISSN 2432-3519NCID AA12760335 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl Sainty, John Christopher (January 2003). "Navy Treasurer c. 1546-1836" (英語). 2018年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。Institute of Historical Researchより2024年11月1日閲覧
  8. ^ a b c Knighton, C. S.; Loades, David M. (2011). The navy of Edward VI and Mary I (英語). Farnham: Ashgate. p. 547. ISBN 978-1-4094-1848-1
  9. ^ Bennell, John (17 September 2015) [23 September 2004]. "Gonson, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/47400 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  10. ^ a b c Knighton, C. S.; Loades, David M. (2011). The navy of Edward VI and Mary I (英語). Farnham: Ashgate. p. 570. ISBN 978-1-4094-1848-1
  11. ^ Davies 1965, pp. 271, 273.
  12. ^ a b c d e f Davies 1965, p. 274.
  13. ^ Davies 1965, p. 273.
  14. ^ a b Barker, George Fisher Russell (1895). "Parnell, Henry Brooke" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 43. London: Smith, Elder & Co. p. 344.

参考文献

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  • Davies, C. S. L. (April 1965). "The Administration of the Royal Navy under Henry VIII: The Origins of the Navy Board". The English Historical Review (英語). Oxford University Press. 80 (315): 268–288. JSTOR 560133

関連項目

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