スタン・プラスキー
スタン・プラスキー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
スタン・プラスキー スタン・バション マッド・ラシアン ボリス・スミルノフ イゴール・カルミコフ スタニスラウス・プラスキー ザ・デストロイヤー エリック・ポメロイ |
本名 | エリック・ロナルド・ポメロイ |
ニックネーム | ロシアの狂人 |
身長 | 183cm[1] |
体重 | 110kg(全盛時)[1] |
誕生日 | 1933年6月12日[2] |
死亡日 | 2012年9月29日(79歳没)[2] |
出身地 |
カナダ ニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ[2] |
デビュー | 1950年[1] |
引退 | 1976年[2] |
スタン・プラスキー(Stan "The Mad Russian" Pulaski、本名:Eric Ronald Pomeroy、1933年6月12日 - 2012年9月29日)は、カナダのプロレスラー。ニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ出身[3]。
ロシア人ギミックのヒールとして活動した試合巧者の職人レスラーであり[4]、NWAやAWAの各テリトリーで実績を残した[2]。
来歴
[編集]少年時代からレスリング、ボクシング、ウエイトリフティングなどのスポーツに取り組み、1950年にオンタリオ州トロントにて18歳でデビュー[3][5]。以降、本名のエリック・ポメロイ(Eric Pomeroy)、イゴール・カルミコフ(Igor Kalmikoff)、スタニスラウス・プラスキー(Stanislaus Pulaski)などのリングネームを用いてカナダおよびアメリカ各地を転戦[2]。
1962年には五大湖エリアにおいて、ハンス・シュミット、ドミニク・ブラボー、ガイ・ミッチェル、トニー・マリノらと対戦した[6]。大西洋岸南部のミッドアトランティック地区では1963年にレイ・アンドリュースと組み、クリス・トロス&ジョン・トロスなどのチームとNWA南部タッグ王座を争っている[7]。
1965年3月11日、太平洋岸北西部のオレゴン州ポートランドにてNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得[8]。同年12月、スタン・プラスキー(Stan Pulaski)として日本プロレスの『ウィンター・シリーズ』に初来日。リキ・スポーツパレスにおける豊登とのシングルマッチでは、反則裁定ながら勝利を収めている[9]。
1967年より深南部のジョージア地区に参戦。スタン・バション(Stan Vachon)と名乗り、モーリス "マッドドッグ" バション&ポール "ザ・ブッチャー" バションのバション兄弟の「次兄」というギミックで活動する[4][10]。エンリケ、アルベルト、ラモンのトーレス3兄弟と抗争を繰り広げ[5]、「弟」のポールとのコンビで同地区認定のタッグ王座を再三獲得した[10]。
ジョージアで活躍中の1967年9月、マッド・ラシアン(The Mad Russian)のリングネームで日本プロレスの『ダイヤモンド・シリーズ』に再来日。アントニオ猪木、キム・イル、吉村道明、キンジ渋谷らとシングルマッチで対戦した[11]。同シリーズには後にロシア人ギミックの後継者となるイワン・コロフもレッド・マクナルティの名義で参戦しており、開幕戦の大田区体育館大会で両者はタッグを組み、ヤマハ・ブラザーズの凱旋帰国試合の相手を務めている[12]。
アメリカではバション・ブラザーズを解散後、AWAの提携テリトリーだったネブラスカ州オマハを主戦場に、リングネームをスタン・プラスキーに戻してベビーフェイスのポジションで活動[5]。1969年2月1日にマイク・デビアスからAWA中西部ヘビー級王座を奪取し、以降もターザン・タイラー、ラーズ・アンダーソン、ロック・ロゴウスキー、グレート草津、バディ・ウォルフらを破り、1972年下期にかけて同王座を通算6回獲得した[13]。レジー・パークスと組んでAWA中西部タッグ王座にも就き、当時AWAと提携していた国際プロレスの草津&ヒゴ・ハマグチの挑戦も受けたが[14]、国際プロレスへの参戦は実現していない。なお、敵対関係にあった草津とは1972年の元旦にセントルイスのキール・オーディトリアムにてタッグを組み、ロニー・エチソン&ジョニー・ウィーバーと対戦している[15]。
1973年3月、マッド・ラシアンとして全日本プロレスに来日。『チャンピオン・カーニバル』の第1回大会に出場したが、トーナメント1回戦でザ・デストロイヤーに敗退した[16][17]。全日本プロレスには同年11月開幕の『ジャイアント・シリーズ第2弾』にもスタン・プラスキー名義で参戦しており、富山市体育館大会では特別参加のブルーノ・サンマルチノのパートナーとなって、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビと対戦した[18]。
1974年はフロリダ地区で再びスタン・バションと名乗り、「兄」のモーリスとバション・ブラザーズを再結成[19]。2月12日には若手ヒール時代のディック・スレーターをパートナーに、ポール・ルダック&ジョー・ルダックを下してNWAフロリダ・タッグ王座を奪取した[20]。7月にはカナダ沿海州のESAにおいて、エリック・ポメロイ名義でグレート・クマから北米ヘビー級王座を奪取したが[21]、同年に交通事故に遭い、引退を余儀なくされた[3]。
その後、1976年に一時的に復帰して、ESAではザ・マーセナリーズ(フレンチ・マーチン&マッドドッグ・マーテル)やザ・ブルート[22]、AWAではキム・ドクと対戦した[23]。
引退後は、主戦場だったネブラスカ州のストロムズバーグに居住していた[3]。2012年9月29日、79歳で死去[1]。
得意技
[編集]- ガン・フー・ホールド(Gung Fu hold / Double Corkscrew)[10] - 相手のこめかみに両方の拳を押しつけてタップアウトを奪う[5]。
- パイルドライバー[1]
- ハングマンズ・ホールド[1]
- ニー・ドロップ[1]
獲得タイトル
[編集]- NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / レイ・アンドリュース)[7]
- NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回[8]
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / エル・シェリーフ、スタン・スタージャック)[24]
- NWA世界タッグ王座(ジョージア版):2回(w / ブッチャー・バション)[25]
- NWA南部タッグ王座(ジョージア版):3回(w / ブッチャー・バション)[26]
- NWAジョージア・タッグ王座:3回(w / ブッチャー・バション×2、ボビー・ダンカン)[27]
- NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版):1回(w / ダニー・リトルベア)[28]
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ディック・スレーター)[20]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Stan Vachon”. Cagematch.net. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f “Eric Pomeroy”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b c d “Multi-named Eric Pomeroy - Vachon, Pulaski, Kalmikof - dead at 79”. Slam Wrestling (2012年10月4日). 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.52』P68(2019年、辰巳出版、ISBN 4777823393)
- ^ a b c d “Eric Pomeroy: Still a happy Russian (and more)”. Slam Wrestling (2006年12月7日). 2023年1月20日閲覧。
- ^ “Stan Vachon: Matches 1958-1965”. Cagematch.net. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月19日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “JPWA 1965 Winter Series”. Puroresu.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b c “Stan Pulaski”. Oklafan.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The JWA matches fought by Eric Pomeroy in 1967”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “JPWA 1967 Diamond Series”. Puroresu.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b “AWA Midwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Eric Pomeroy in 1972”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The SLWC matches fought by Eric Pomeroy in 1972”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Eric Pomeroy in 1973”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “AJPW 1973 The 1st Champion Carnival”. Puroresu.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “AJPW 1973 Giant Series II”. Puroresu.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Eric Pomeroy in 1974”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b “NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b “North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The ESA matches fought by Eric Pomeroy in 1976”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The AWA match fought by Eric Pomeroy in 1976”. Wrestlingdata.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA North American Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “AWA Midwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
- ^ “International Tag Team Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。