スヴャトスラフ・オリゴヴィチ (ルィリスク公)
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スヴャトスラフ・オリゴヴィチ Святослав Ольгович | |
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ルィリスク公 | |
出生 |
1167年 |
配偶者 | エヴドキヤ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグ |
母親 | アガフィヤ・ロスチスラヴナ |
スヴャトスラフ・オリゴヴィチ(ロシア語: Святослав Ольгович、1167年 - ?)は、ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグの子である。聖名ボリス。ルィリスク公(在位期間は不明)。
スヴャトスラフは1167年に生まれた。1183年の春と冬にポロヴェツ族への遠征に参加した。1185年にもおじのイーゴリの率いる遠征軍に参加したが、敗れて捕虜となった。一般に、スヴャトスラフのその後の詳細は不明であると論じられているが[1]、後にルーシに帰還し、1196年から再びルィリスク公となったとみなす説もある[2]。
作家のA.M.ドミニンは、『イーゴリ軍記』の作者はスヴャトスラフであるという仮説を立てている[2]。
妻子
[編集]妻の名はエヴドキヤ。クルスク公オレグとルィリスク公ムスチスラフを、スヴャトスラフの子とみなす説がある[3]。
出典
[編集]- ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』p204
- ^ a b Раздорский А. И. Князья Рыльские // Князья, наместники и воеводы Курского края XI-XVIII вв. — Курск: Регион-Пресс, 2004.
- ^ Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
参考文献
[編集]- 木村彰一訳 『イーゴリ遠征物語』 岩波書店、1983年。