ズート・シムズ
ズート・シムズ Zoot Sims | |
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ニューヨーク市52番街ジャズ・フェアー(1976年7月6日)にて | |
基本情報 | |
出生名 | John Haley Sims |
生誕 | 1925年10月29日 |
出身地 | カリフォルニア州イングルウッド |
死没 | 1985年3月23日 (59歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | サクソフォーン奏者 |
担当楽器 |
テナー・サクソフォーン ソプラノ・サクソフォーン アルト・サクソフォーン |
共同作業者 | ウディ・ハーマン、アル・コーン、スタン・ケントン、バディ・リッチ、ジェリー・マリガン、オスカー・ピーターソン、ジャック・ケルアック、ボブ・ブルックマイヤー、カウント・ベイシー、アート・ペッパー、ジム・ホール、アニー・ロス |
ズート・シムズ(Zoot Sims、1925年10月29日 – 1985年3月23日 ニューヨーク・シティ)は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者。主にテナー・サクソフォーンとソプラノ・サクソフォーンを吹いた[1]。本名はジョン・ヘイリー・シムズ(John Haley Sims)といい、ズートは渾名である。この渾名は、カリフォルニアでケニー・ベイカー楽団に在籍中に付けられたものである。シムズにちなんで、あるテレビ番組のキャラクターにも「ズート」の名が取り入れられた。
略歴
[編集]カリフォルニア州イングルウッドに生まれる。ヴォードヴィル芸人の家庭に生まれ、タップダンサーだった父親から、さまざまなステップを仕込まれる。後に当時を回想して父親の指導を自慢した。また、少年時代にドラムスとクラリネットの演奏を習い覚えた。
レスター・ヤングの足跡を追ってサクソフォン奏者となり、生涯を通じてベニー・グッドマンやアーティ・ショウ、スタン・ケントン、バディ・リッチらの著名なビッグ・バンドと共演し、テナー・サクソフォーン演奏の改革を繰り広げた。また、第2期ウディ・ハーマン楽団の「フォー・ブラザーズ」の一人に数えられ、ジャズ・ミュージシャンの間ではスウィング様式による最強のサクソフォーン奏者として知られた。シムズはしばしば自身のコンボを結成し、また時にはジェリー・マリガン・セクステットや後にはマリガン・コンサート・ジャズ・バンドと演奏旅行を行なった。
1950年代と1960年代には、アル・コーンと共同で長期にわたってクィンテットのリーダーを務め、「アルとズート」名義で録音を行なった。このクィンテットはニューヨークのクラブ「ザ・ハーフ・ノート」が贔屓にした。ズートはいつでもテナー・サックスの高い音域を好んでおり、それでアルト・サックスや、後年(ノーマン・グランツのパブロ・レーベルに一連のアルバムを録音していた時期)になると、ソプラノ・サックスを好んで吹くようになる。また、ジャック・ケルアックのいくつかの録音にも参加した。
また、1962年、世界で初めて、ジャズとボサノヴァを結合したアルバム『New Beat Bossa Nova』を録音した。
脚注
[編集]- ^ allaboutjazz Archived 2012年7月6日, at the Wayback Machine.