セス・ネッダーマイヤー
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セス・ネッダーマイヤー | |
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ネッダーマイヤー(ロスアラモス国立研究所) | |
生誕 |
Seth Henry Neddermeyer 1907年9月16日 アメリカ合衆国ミシガン州リッチモンド (ミシガン州) |
死没 |
1988年1月29日(80歳没) アメリカ合衆国ワシントン州シアトル |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 |
ロスアラモス国立研究所 マンハッタン計画 |
出身校 | カリフォルニア工科大学 |
博士課程 指導教員 | カール・デイヴィッド・アンダーソン |
主な業績 | ミュー粒子の発見 |
主な受賞歴 | エンリコ・フェルミ賞(1982年) |
プロジェクト:人物伝 |
セス・ヘンリー・ネッダーマイヤー(英語:Seth Henry Neddermeyer、1907年9月16日 - 1988年1月29日)は、アメリカ合衆国ミシガン州リッチモンド (ミシガン州)出身の物理学者。
1937年に同国出身の物理学者であるカール・デイヴィッド・アンダーソンの共同研究者として宇宙線の中からミュー粒子を発見したことで名高い。
また、1982年にエンリコ・フェルミ賞を受賞した。
生涯
[編集]1907年9月16日、アメリカ合衆国ミシガン州のリッチモンドに生まれる。
スタンフォード大学に進学して1929年に学位を修得。その後は1941年までカリフォルニア工科大学で研究員としてPh.D(博士号)修得のためアンダーソンの共同研究者となり、1937年にウィルソンの霧箱を用いて宇宙線の中からミュー粒子を発見した。
なおミュー粒子は発見当時、電子のほぼ200倍の質量を持つ粒子として報じられた[1]。アンダーソンらが発見した粒子を新たな中間子(ミュー粒子)と裏付けた人物は日本の物理学者湯川秀樹やアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマー、スイスの物理学者エルンスト・シュテュッケルベルクによって確認された。
1941年から1943年まで第二次世界大戦のためアメリカ国立標準技術研究所に務め、1946年にロスアラモス国立研究所でオッペンハイマーらのマンハッタン計画に参加した。
1946年よりワシントン大学で助教授を務め、後に教授となり1973年にはワシントン大学の名誉教授となった。
1982年にエンリコ・フェルミ賞を受賞。
脚注・参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 万有百科大事典 1976, p. 430.
参考文献
[編集]- 彌永昌吉、中村誠太郎、三村征雄、湯川秀樹 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 16 物理・数学』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1976-4-20)。
- Carl D. Anderson Biography - ノーベル賞公式サイト(英語)、2013年5月26日閲覧。