セルジュ・ブールギニョン
Serge Bourguignon セルジュ・ブールギニョン | |||||||||||||
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1963年、東京にて | |||||||||||||
生年月日 | 1928年9月3日(96歳) | ||||||||||||
出生地 | フランス共和国 オワーズ県メーニュレ=モンティニ | ||||||||||||
国籍 | フランス | ||||||||||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||
『シベールの日曜日』 『セシルの歓び』 | |||||||||||||
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セルジュ・ブールギニョン(Serge Bourguignon、1928年9月3日 - )は、フランスの映画監督、脚本家である。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『シベールの日曜日』の監督として知られる。
来歴
[編集]フランス・オワーズ県のメーニュレ=モンティニに生まれる。1948年、20歳のときに、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』の助監督を経験する。
1956年、短編映画『Sikkim, Terre secréte』で監督・脚本家としてデビュー。その後、3本の短編脚本を詩人で、ルチアーノ・エンメル監督の『ピカソ この天才を見よ Picasso』(1954年)のコメンタリーを執筆したクロード・ロワ(1915年 - )と共同作業でつくり、演出する。
1962年、劇映画『シベールの日曜日』で長編デビュー。主演ハーディ・クリューガー。ブールギニョン自身が出演しているほか、同作の脚本家アントワーヌ・チュダルも顔を出している。
1963年4月1日から10日にかけて第3回フランス映画祭が東京都千代田区の東商ホールで開催された。『シベールの日曜日』のほか、ジャン=ガブリエル・アルビコッコの『金色の眼の女』と『アメリカのねずみ』、『突然炎のごとく』『ミス・アメリカ パリを駆ける』『女はコワイです』『不滅の女』『地下室のメロディー』『地獄の決死隊』の計9本の長編と、短編映画『ふくろうの河』が上映された[1]。ブールギニョン、フランソワ・トリュフォー、アレクサンドラ・スチュワルト、アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、アルベール・ラモリス、フランソワーズ・ブリオンらは映画祭に参加するため3月28日に来日した[2][3]。雑誌の企画により、ブールギニョンとトリュフォーは、市川崑、増村保造、川喜多かしことホテルニュージャパンで語り合った[4]。
1985年、日仏合作映画『17才/Seventeen』を『瀬戸内少年野球団』(原作阿久悠)でブレイクしたばかりの佐倉しおり主演で撮っている。
フィルモグラフィー
[編集]- Sikkim, Terre secréte 短編、監督・脚本 (1956年)
- Le Montreur d'ombres 短編、監督・脚本 (1959年) 共同脚本クロード・ロワ
- Escale 短編、監督・脚本 (1959年)共同脚本クロード・ロワ
- 微笑 Le Sourire 短編ドキュメンタリー、監督・脚本 (1960年)共同脚本クロード・ロワ、音楽ジョルジュ・ドルリュー
- シベールの日曜日 Les Dimanches de Ville d'Avray 監督・脚本 (1962年)共同脚本アントワーヌ・チュダル、撮影アンリ・ドカエ、音楽モーリス・ジャール、美術デザイナーベルナール・エヴァン。
- メキシコで死ね The Reward 監督・脚本 (1965年)主演マックス・フォン・シドー、音楽エルマー・バーンスタイン
- セシルの歓び À cœur joie 監督・脚本 (1967年)主演ブリジット・バルドー
- The Picasso Summer 監督・脚本(アメリカ映画、1969年)共同監督ロベール・サラン、撮影ヴィルモス・ジグモンド/アンリ・アルカン、音楽ミシェル・ルグラン
- Mon royaume pour un cheval ドキュメンタリー、監督(1978年)※タイトルは『リチャード三世』の「馬のかわりにわが王国をくれてやる!」(小田島訳)という王の台詞から。
- 17才/Seventeen Fascination 監督・脚本(日仏合作、1985年)主演佐倉しおり、音楽モーリス・ジャール
- Impressions d'Extrême océan: l'Australie 監督(1992年)