ソン・デグァン
表示
ソン・デグァン | |
---|---|
出生名 | ソン・デグァン(송대관) |
生誕 | 1946年6月2日(78歳) |
出身地 | 韓国全羅北道井邑市 |
学歴 | 全州永生高等学校卒 |
ジャンル | トロット |
職業 | 歌手、作曲家 |
活動期間 | 1967年 - 現在 |
事務所 | ソンエンターティーメント |
宋大寛 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 송대관 |
漢字: | 宋大琯 |
発音: | ソン・デグァン |
ローマ字転写: 英語表記: |
Song Dae-Gwan Song Dae-Kwan |
各種表記(本名) | |
ハングル: | 송대관 |
漢字: | 宋大琯 |
発音: | ソン・デグァン |
ローマ字転写: 英語表記: |
Song Dae-Gwan Song Dae-Kwan |
ソン・デグァン(송대관、宋大寛、Song Dae Kwan、1946年6月2日 - )は、大韓民国の歌手、大韓歌手協会理事長。
来歴
[編集]1967年にデビュー。1975年に自身が作詞した「陽が昇る日(해뜰날)」が大ヒットしMBC10大歌手歌謡祭で大賞を受賞する。 しかし、その後経済的困難を迎え1980年にアメリカへ移住1988年に帰国した。[1]
1989年に「情ゆえに(정 때문에)」がラジオチャートで3ヶ月間1位を守り続け20万枚のヒットを記録する。このヒットを皮切りにトップ歌手へ駆け上がり90年代にはヒットを連発。中でも1998年発表の「四拍子(네박자)」は世代を問わず大ヒットした。この頃からヒョンチョル、テ・ジナ、ソル・ウンドとトロット四天王を構築。その中でもアメリカ生活時代に苦楽を共にしたテ・ジナとは強力なライバル関係を構築し合同コンサートを毎年開催している。
2003年には妻が作詞した「流行歌(유행가)」がヒット。2008年から2010年までは、南珍に代わり大韓歌手協会会長に就任した。近年でもコヨーテのシンジとデュエット曲を発表するなど精力的に活動している。
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]- 1集「人情の多いおじさん(인정많은 아저씨)」(1967年)
- 2集「歳月が薬でしょう(세월이 약이겠지요)」(1973年)
- 3集「陽が昇る日(해뜰날)」(1975年)
- 4集「姿が(모습이)」(1976年)
- 5集「お願い(부탁)」(1976年)
- 6集「孝行(효심)」(1977年)
- 7集「私(나)」(1977年)
- 8集「明洞旅人(명동 나그네)」(1978年)
- 9集「あなたが行くなら(당신이 가신다면)」(1978年)
- 10集「君はどこに(너는 어디에)」(1979年)
- 11集「妻のように(아내와 같이)」(1980年)
- 12集「情ゆえに(정 때문에)」(1989年)
- 「私たちのスンイ(우리 순이)」
- 13集「君が何だ(네가 뭔데)」
- 14集「切符一枚(차표 한장)」(1992年)
- 15集「大声ぱんぱんと(큰소리 뻥뻥)」(1993年)
各種活動
[編集]芸能関係
[編集]- 2008年 - 大韓歌手協会理事長