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タミ・キウル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

タミ・キウル
 フィンランド
男子 スキージャンプ
オリンピック
2006 トリノ ラージヒル団体
ノルディックスキー世界選手権
2003 Val di Fiemme ラージヒル団体
2005 Oberstdorf ラージヒル団体
スキーフライング世界選手権
2004 プラニツァ 団体
2006 Kulm 団体
2004 Planica 個人

タミ・キウル(Tami Petri Antero Kiuru、1976年9月13日 - )は、フィンランド南スオミ州ヴァンター出身の元スキージャンプ選手。

プロフィール

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キウルは7歳でジャンプを始めた。1993年3月28日にスロベニアのプラニツァでワールドカップにデビューした。 しかし、その後1998/1999シーズンまでワールドカップの舞台に立つことはなかった。 1995年12月にラハティでの練習中に転倒し、鎖骨骨折と肺損傷の重傷を負ったためである。 この怪我の影響でキウルは1996/97~1998/99シーズンまでコンチネンタルカップを主戦場とすることになった。

1999年2月7日、チェコのハラコフで8位となりワールドカップへの復帰を果たした。 翌シーズンは当初からワールドカップメンバーに選ばれた。 2001年3月17日プラニツァのフライング団体戦、チームの3番手として優勝に貢献、翌日の個人戦では5位となった。 2003年の世界選手権代表に初めて選ばれ、ラージヒル10位、ノーマルヒル5位入賞、そして団体では金メダルを獲得した。3月15日、ラハティではワールドカップで自己初の表彰台となる3位となった。プラニツァの団体戦で再び優勝に貢献。総合で21位となった。

2003/04シーズンはついにワールドカップで初優勝(2003年12月14日ドイツティティゼー=ノイシュタット英語版)、スキーフライング世界選手権では個人で銅メダル、団体で銀メダルを獲得した。

2005年の世界選手権と2006年のトリノオリンピックでともに団体銀メダルを獲得。

2007年3月にプラニツァで着地後転倒し、左膝前十字靭帯断裂の重傷を負った。 8ヵ月後の11月に競技へ復帰したがワールドカップに復帰したのはシーズン終盤の3月であった。膝の怪我は完全に回復するには至らず、2008/09シーズンを最後に現役引退[1]した。

キウルはスキージャンプに加えてフィンランドのデータ通信会社Nordic LAN & WAN Communication Oyで働いている。 2004年4月に結婚、趣味も多彩でアルペンスキーやテレマークスキー、ゴルフや写真などを嗜む。

脚注

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外部リンク

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