ダラール・イムホフ
故人 | ||||||||||||
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ポジション | C | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
生年月日 | 1938年10月11日 | |||||||||||
没年月日 | 2017年6月30日(78歳没) | |||||||||||
出身地 | カリフォルニア州サン・ガブリエル | |||||||||||
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 100kg (220 lb) | |||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||
出身 | カリフォルニア大学バークレー校 | |||||||||||
ドラフト | 1960年 3位 | |||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1960-1962 1962-1964 1964-1968 1968-1970 1970-1971 1971-1972 |
ニューヨーク・ニックス デトロイト・ピストンズ ロサンゼルス・レイカーズ フィラデルフィア・76ers シンシナティ・ロイヤルズ ポートランド・トレイルブレイザーズ | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||
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ダラール・タッカー・イムホフ(Darrall Tucker Imhoff, 1938年10月11日 - 2017年6月30日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長208cm、体重100kg。ポジションはセンター。1960年ローマ五輪金メダリスト。
経歴
[編集]大学時代
[編集]カリフォルニア州サン・ガブリエル出身。地元カリフォルニア大学バークレー校でエースセンターとして活躍し、1959年にNCAAトーナメント制覇を果たした。翌1960年にも準優勝し、自身は平均13.7得点12.4リバウンドの成績でオールアメリカ1stチームに選出された。同年ローマ五輪アメリカ代表に選ばれ、金メダルを獲得した。
NBA
[編集]1960年、NBAドラフトでオスカー・ロバートソン、ジェリー・ウェストに次ぐ全体3位でニューヨーク・ニックスに入団した。プロ入り当初は結果を残せず控え選手に甘んじた。2年目のフィラデルフィア・ウォリアーズ戦ではマッチアップしたウィルト・チェンバレンを全く止められず、NBA記録の100得点を許した。ニックスとデトロイト・ピストンズで2シーズンずつ過ごした後、1964年ロサンゼルス・レイカーズにトレードされた。
イムホフはレイカーズ3年目の1966–67シーズンに急成長し、ウェスト、エルジン・ベイラーに次ぐ出場時間を得て平均10.7得点13.3リバウンド(リーグ8位)の好成績を残した。この年は自身唯一のオールスターに選出された。レイカーズ時代の4年間で3度NBAファイナルに進出したが全てボストン・セルティックスに敗れた。
1968年にチェンバレンとの交換でフィラデルフィア・76ersに移籍し、1969年のプレーオフディビジョン準決勝ではセルティックス相手に平均18.2得点16.4リバウンドの大活躍を見せた。1970年シンシナティ・ロイヤルズにトレードされたが前十字靭帯を負傷して欠場が多くなり、翌シーズン初めに解雇された。直後にポートランド・トレイルブレイザーズと契約してシーズンの残りをプレーし、1972年限りで現役引退した。
NBAでの成績は、801試合の出場で通算5,759得点6,099リバウンド(平均7.2得点7.6リバウンド)であった。
引退後
[編集]1988年、母校カリフォルニア大学バークレー校のアスレチック殿堂に選ばれ、2009年には自身の背番号『40』が大学の永久欠番に指定された。
2011年、ローマ五輪アメリカ代表チームの一員としてバスケットボール殿堂入りを果たした。
2017年、心臓発作のため78歳で死去。
備考
[編集]- 孫のデイモン・ジョーンズはMLBのフィラデルフィア・フィリーズで投手としてプレーしている。
個人成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]Season | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
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1960–61 | NYK | 62 | 16.0 | .394 | .510 | 4.8 | .8 | 4.7 |
1961–62 | 76 | 19.5 | .386 | .576 | 6.2 | 1.1 | 5.9 | |
1962–63 | DET | 45 | 10.2 | .314 | .480 | 3.4 | .6 | 2.7 |
1963–64 | 58 | 15.0 | .414 | .605 | 4.9 | 1.0 | 4.8 | |
1964–65 | LAL | 76 | 20.0 | .466 | .571 | 6.6 | 1.1 | 5.0 |
1965–66 | 77 | 18.4 | .448 | .566 | 6.6 | 1.5 | 4.9 | |
1966–67 | 81 | 33.6 | .474 | .614 | 13.3 | 2.7 | 10.7 | |
1967–68 | 82 | 27.7 | .478 | .619 | 10.9 | 2.5 | 9.3 | |
1968–69 | PHI | 82 | 28.8 | .470 | .597 | 9.7 | 2.7 | 9.2 |
1969–70 | 79 | 31.3 | .540 | .650 | 9.5 | 2.7 | 13.6 | |
1970–71 | CIN | 34 | 24.3 | .461 | .507 | 6.9 | 2.3 | 8.1 |
1971–72 | 9 | 8.4 | .345 | .375 | 3.0 | .2 | 2.6 | |
POR | 40 | 10.1 | .408 | .600 | 2.7 | 1.3 | 2.6 | |
Career | 801 | 22.3 | .458 | .594 | 7.6 | 1.8 | 7.2 | |
All-Star | 1 | 6 | .000 | – | 7.0 | 1.0 | .0 |
プレーオフ
[編集]Year | Team | GP | MPG | FG% | FT% | RPG | APG | PPG |
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1963 | DET | 1 | 2.0 | – | – | 1.0 | .0 | .0 |
1965 | LAL | 11 | 13.7 | .542 | .583 | 3.9 | 1.2 | 3.0 |
1966 | 14 | 17.4 | .350 | .722 | 5.8 | 2.1 | 2.9 | |
1967 | 3 | 28.7 | .542 | .800 | 12.3 | 1.7 | 10.0 | |
1968 | 15 | 29.3 | .494 | .510 | 10.9 | 2.0 | 7.6 | |
1969 | PHI | 5 | 38.2 | .500 | .658 | 16.4 | 2.4 | 18.2 |
1970 | 5 | 27.6 | .458 | .143 | 7.0 | 2.2 | 9.0 | |
Career | 54 | 23.2 | .478 | .580 | 8.2 | 1.9 | 6.6 |