チャールズ・ガーランド
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チャールズ・ガーランド | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Charles Stedman Garland | |||
愛称 | Chuck(チャック) | |||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 | 同・ペンシルベニア州ピッツバーグ | |||
生年月日 | 1898年10月29日 | |||
没年月日 | 1971年1月28日(72歳没) | |||
死没地 | 同・メリーランド州ボルチモア | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
殿堂入り | 1969年 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全英 | ベスト4(1919・20) | |||
全米 | ベスト8(1917) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全英 | 優勝(1920) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
チャールズ・ガーランド(Charles Garland, 1898年10月29日 - 1971年1月28日)は、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の男子テニス選手。1920年のウィンブルドン選手権男子ダブルスでリチャード・ウィリアムズとペアを組んで優勝し、アメリカ人選手として最初のウィンブルドン・ダブルス優勝者になった選手である。フルネームは Charles Stedman Garland (チャールズ・ステッドマン・ガーランド)といい、愛称の「チャック・ガーランド」(Chuck Garland)で文献に記載されることも多い。
来歴
[編集]ガーランドは第1次世界大戦の戦時中、1915年から全米選手権に出場し始めた。第1次世界大戦の戦時中、全米選手権は途切れることなく開催されていた。1918年11月に世界大戦が終結し、他のテニス4大大会は終戦後の1919年から再開される。ガーランドは終戦後のウィンブルドン選手権で活躍し、1919年と1920年の2年連続で男子シングルスのベスト4に入った。1920年の男子ダブルスで、チャック・ガーランドはリチャード・ウィリアムズとペアを組み、決勝でアルガーノン・キングスコート(1888年 - 1964年)とジェームズ・パーク(1881年 - 1946年)組を 4-6, 6-4, 7-5, 6-2 で破って優勝した。ガーランドとウィリアムズは、こうしてアメリカ人男子選手初のウィンブルドン・ダブルス優勝者に輝いた。
チャック・ガーランドの4大大会男子シングルス成績は、全米選手権では1917年のベスト8進出であったが、前述のようにウィンブルドンで2年連続のベスト4進出があった。彼は長年にわたり全米テニス協会(USTA)の要職に携わり、1927年の男子テニス国別対抗戦・デビスカップ決勝(対フランス戦)でアメリカ・チームのキャプテンを務めた。1928年全米選手権の1回戦敗退を最後に、彼は自らの競技生活に終止符を打った。1969年に国際テニス殿堂入り。1971年1月28日、チャールズ・ステッドマン・ガーランドはメリーランド州ボルチモアで72年の生涯を終えた。
外部リンク
[編集]- チャールズ・ガーランド - 国際テニス殿堂のプロフィール