ちょんの間
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ちょんの間(ちょんのま)とは、元赤線・青線で営業している性的なサービスをする風俗店およびその地区。日本および日本統治下だった大韓民国に存在するものを特にこの名前で呼ぶ。大阪府(近畿圏)では本番行為をさせる店のことを指し、東南アジアの売春宿・置屋(おきや)や、欧州ではベネルクス3国などで見られる飾り窓と同義。
→「飾り窓 § 各地の飾り窓」も参照
概要
[編集]語源は「ちょっとの間」に性交することから[1][2]。江戸時代から存在する語であるが[1][2]、古くは(業態を指す語というより)娼館で時間を短く区切って遊ぶことを意味し[1][3]、「ちょんの間遊び」とも呼ばれた[1][3]。「ちょんの間遊び」を業態とする娼館のことは「切見世」(きりみせ[4])と呼ばれた[5]。
かつて赤線・青線地帯で売春行為していた店舗で、1956年(昭和31年)の売春防止法の完全施行後も、旅館、料亭、スナックなどに転向し、客と従業員との自由恋愛という名目をとって、営業を続けている。
大阪府では、ソープランドが風営法施行条例により禁止されている[6]ため、今も残る一方、真栄原、黄金町、上鶴間本町(町田駅南口)、川崎堀之内などは時の都道府県知事の意向を受けた警察(生活安全部)の摘発により壊滅に追い込まれた[7]。
→「ソープランド § 売春防止法」、および「管理売春 § 法的根拠(日本)」も参照
現存する主なちょんの間
[編集]日本国内
[編集]関東
[編集]中部
[編集]近畿
[編集]- 飛田新地(大阪府大阪市西成区)日本最大。→「大阪の花街 § その他の花街(遊廓)」、および「飛田遊廓 § 全店休業」も参照
- 松島新地(大阪市西区) - 大東亜戦争末期の空襲(大阪大空襲)で焼失したため戦後に建築された料亭。→「松島遊廓 § 概要」、および「大阪大空襲 § 第1回大阪大空襲 - 3月13日・14日」も参照
- 今里新地(大阪市生野区)嬢は置き屋から派遣される。
- 滝井新地(大阪府守口市)
- 信太山新地(大阪府和泉市)旅館街。嬢は置き屋から派遣される。→「大阪の花街 § 大阪府内の花街(遊廓)」も参照
- 天王新地(和歌山県和歌山市)
- 生駒新地(奈良県生駒市)観光旅館街。嬢は置き屋から派遣される。
四国
[編集]九州・沖縄
[編集]- 別府温泉(大分県別府市)別名ネコ屋(竹瓦温泉裏)。
- 甲突町(鹿児島県鹿児島市) ソープ街中の旅館。
- 栄町社交街(沖縄県那覇市)
- 吉原社交街(沖縄県沖縄市=旧・美里村)一度壊滅したが復活した。→「美里村 (沖縄県) § 現在の沖縄市美里地域」も参照
大韓民国
[編集]過去の主なちょんの間
[編集]日本
[編集]- 紙漉町(青森県弘前市) 旅館街
- 堀之内(神奈川県川崎市川崎区) - 2005年(平成17年)8月に料飲組合が解散。組合非加盟の店舗は営業を続けたが2009年頃までに摘発、壊滅。ただしソープランドはその後も存続。→詳細は「堀之内 (川崎市) § 歴史」を参照
- 黄金町(神奈川県横浜市中区) - 京浜急行本線の高架下にあった。2005年(平成17年)8月までに全店閉店、壊滅。→詳細は「黄金町 § 環境改善運動以降」、および「松沢成文 § 治安政策」を参照
- たんぼ(神奈川県相模原市南区) - JR横浜線町田駅南口至近に存在した。2007年(平成19年)2月までに全店閉店、壊滅。
- 渡鹿野島(三重県志摩市=旧・磯部町) - 2021年(令和3年)に最後まで残った店舗が廃業。→詳細は「渡鹿野島 § 性産業に関して」を参照
- 郡山新地(奈良県大和郡山市)
- 五条楽園(京都府京都市下京区)旧七条新地。売春防止法施行後、お茶屋街として営業を続ける。2010年に二度の摘発、営業を休止。その後、料飲組合は解散。→詳細は「京の花街 § かつて存在していた花街(遊廓)」、および「五条楽園 § 営業休止」を参照
- かんなみ新地(兵庫県尼崎市)元青線[8]。2021年11月に市と兵庫県警尼崎南警察署の連名による風営法に基づく警告を受けて全店が閉店[8][9]。尼崎市が跡地の取得を進めている[9]。
- 神崎新地(兵庫県尼崎市)阪神・淡路大震災により廃業。当地の神社には神崎新地と記された石碑や遊女慰霊碑が残る。
- 瓦町(香川県高松市) 連れ込み旅館風の店舗で営業していたが現在ちょんの間としての営業は行っていない。
- 土橋(愛媛県松山市) 土橋料亭街
- ネオン坂(松山市道後)旧松ヶ枝遊郭
- 新京町(福岡県北九州市小倉北区)飲食店 地元暴力団工藤會への取り締まりと併せ、2007年に摘発され壊滅。残った店舗も2013年までに営業を終了。→「工藤會 § 市民対象暴力」も参照
- 花畑(福岡県久留米市) 一発屋旅館街、2017年6月時点の報道で潰滅状態と伝えられている[10]。
- 桜坂社交街(沖縄県那覇市)
- 真栄原社交街(沖縄県宜野湾市) - 2009年(平成21年)までに全店閉店、壊滅。→詳細は「真栄原 § 真栄原社交街(通称・新町)」を参照
- 金武特飲街(沖縄県国頭郡金武町) - 在日米軍キャンプ・ハンセン入口。
- 辺野古社交街(沖縄県名護市=旧・久志村) - 在日米軍キャンプ・シュワブ至近。
- 神里原社交街(沖縄県那覇市)
この他東京都内にも多くのちょんの間が存在し、終戦直後には進駐軍兵士用の慰安所として、政府主導で運営が行われたこともあった。
→詳細は「東京の花街 § かつて存在していた花街(遊廓)」、および「特殊慰安施設協会 § RAA関連施設の設置場所」を参照
→「近衛文麿 § 終戦後」、および「日本の慰安婦 § 占領軍(米軍)と慰安婦」も参照
韓国
[編集]- オーパルパル(ソウル特別市東大門区)- 再開発のため2018年までに全店閉店、壊滅[11]。
- 龍山(ソウル特別市龍山区) - 在韓米軍龍山基地に出入りする兵士を主な客層としていたが、再開発のため2012年までに全店閉店、壊滅。
- 永登浦駅(ソウル特別市永登浦区)
その他
[編集]- 日本では、終戦後に進駐した米軍人目当てのパンパンが貸間で営業を行うパンパンハウス(特殊貸間)が出現した[12]。→「パンパン § 時代と地域」も参照
- 旧日本植民地だった台湾と北朝鮮にもこの形態の風俗が存在したと言われるが、台湾は多くが檳榔西施に転換した後大都市では2000年代前半までに壊滅した。北朝鮮の現状は不明。→「植民地 § 大日本帝国時代の統治地域」、および「大日本帝国 § 領土」も参照
脚注
[編集]- ^ a b c d 中野栄三 編「ちょんの間」『江戸秘語事典』雄山閣出版、1961年、329頁。NDLJP:2495472/168。
- ^ a b 三好一光「ちょんのま」『江戸語事典』青蛙房、1971年、536頁。NDLJP:12448907/277。
- ^ a b 三省堂編修所 編「ちょん-の-ま」『明解古語辞典 新版』三省堂、1962年、679頁。NDLJP:2498238/348。
- ^ 原島陽一「切見世」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社 。コトバンクより2024年11月3日閲覧。
- ^ 中野栄三「切見世」『新版 廓(くるわ)の生活』雄山閣出版〈生活史叢書 15〉、1972年。NDLJP:12170283/156。
- ^ 大阪府風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例(昭和34年府条例第6号) - 大阪府ホームページ。
- ^ イコマ師匠 (2019年12月2日). “日本国内の韓国フーゾク事情 ちょんの間・エステ・大人のパーティーから無店舗型へ”. コリアワールドタイムズ. 2020年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月12日閲覧。
- ^ a b 中塚久美子 (2021年12月28日). “尼崎の歓楽街「かんなみ新地」70年の歴史に幕 「無法地帯」に何が”. 朝日新聞デジタル. 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b “旧「かんなみ新地」2.7億円で取得、更地にして売却へ 残るバーやそば店に補償 尼崎市補正予算案”. 神戸新聞NEXT (2023年2月15日). 2023年9月26日閲覧。
- ^ “東京五輪開催決定で締め付け強化…福岡の裏風俗が消えた”. 東スポWEB (2017年6月7日). 2023年9月26日閲覧。
- ^ 壊滅状態
- ^ “第14章 米軍・自衛隊” (PDF). 千歳市. 2020年1月3日閲覧。