デヴィッド・パットナム
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デヴィッド・パットナム David Puttnam | |||||||||||||||||
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2018年 | |||||||||||||||||
本名 | David Terence Puttnam, Baron Puttnam | ||||||||||||||||
生年月日 | 1941年2月25日(83歳) | ||||||||||||||||
出生地 |
イングランド ロンドン・サウスゲイト | ||||||||||||||||
国籍 | イギリス | ||||||||||||||||
職業 | 映画プロデューサー | ||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||
『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年) 『炎のランナー』(1981年) 『キリング・フィールド』(1984年) 『ミッション』(1986年) | |||||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||||
第1回東京国際映画祭 審査委員長(1985年) |
デヴィッド・パットナム(David Puttnam, 本名:David Terence Puttnam, Baron Puttnam, CBE, 1941年2月25日 - )は、イギリスの映画プロデューサー。
人物
[編集]ロンドン・サウスゲイト出身。母方はユダヤ系[1]、父親は写真家[2]。
1960年代後半に映画プロデューサーとして活動を始め、『ミッドナイト・エクスプレス』や『キリング・フィールド』、『ミッション』といった社会派色の強いドラマ映画をプロデュース、その多くがアカデミー賞などの映画賞を受賞・ノミネートされるなど高い評価を受けている。
コカ・コーラ傘下のコロンビア映画の経営に当たった時期は、ヒット作は作らずに、ハリウッド式の映画の批判を繰り返し、コカ社のロベルト・ゴイズエタ会長(カンザス計画を参照)を苛立たせ、すぐに首になった。
1985年の第1回東京国際映画祭では審査委員長を務めた。1983年、大英帝国勲章CBEを授与された[3]。1996年ベンジャミン・フランクリン・メダル受賞。
主なプロデュース作品
[編集]- 小さな恋のメロディ Melody (1971)
- ハメルンの笛吹き The Pied Piper (1972)
- ファイナル・プログラム/インプット完了メシア創造の瞬間 The Final Programme (1973) ※製作総指揮
- マーラー Mahler (1974) ※製作総指揮
- リストマニア Lisztomania (1975)
- ダウンタウン物語 Bugsy Malone (1976) ※製作総指揮
- デュエリスト/決闘者 The Duellists (1977)
- ミッドナイト・エクスプレス Midnight Express (1978)
- フォクシー・レディ Foxes (1980)
- 炎のランナー Chariots of Fire (1981)
- ローカル・ヒーロー/夢に生きた男 Local Hero (1983)
- キリング・フィールド The Killing Fields (1984)
- キャル Cal (1984)
- ダウニング街の陰謀 Defence Of The Realm (1985) ※製作総指揮
- ミッション The Mission (1986)
- かえるの王さま The Frog Prince (1986) ※製作総指揮
- メンフィス・ベル Memphis Belle (1990)
- ミーティング・ヴィーナス Meeting Venus (1991)
- バーニング・シーズン The Burning Season (1994) テレビ映画 ※製作総指揮
- 草原とボタン War of the Buttons (1994)
その他
[編集]- 石田達郎は、1971年の映画『小さな恋のメロディ』の大ファンだったことから、同作のプロデューサーであるパットナムと親交を持っていた。1990年7月19日に石田が亡くなった際、パットナムは最後に「亡き石田達郎氏に捧ぐ」とクレジットした[4]。
脚注
[編集]- ^ “Lord David Puttnam reveals the secrets of the trade | JPost | Israel News”. jpost.com. 14 July 2014閲覧。
- ^ Film Reference: David Puttnam Biography Retrieved 2013-03-06
- ^ "No. 49212". The London Gazette (7th supplement) (英語). 30 December 1982. p. 9.
- ^ 品田雄吉『シネマの記憶から 名優・名監督と映画評論家の五十年』角川SSコミュニケーションズ、2008年、pp.161-162。