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トゥルミシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トゥルミシュ(Turmiš、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えたウイグル人将軍の一人。『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝などの漢文史料における漢字表記は都爾弥勢(dōuěrmíshì)。

概要

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トゥルミシュは天山ウイグル王国で代々国相を輩出した名家の出で、チンギス・カンに仕えて活躍したユリン・テムルの四男であった[1]。トゥルミシュは長じると従伯父のサルギスとともに李璮討伐に活躍し、この功績により行省郎中とされ、ついで沂州ダルガチに転じた[2]

至元12年(1275年)より丞相バヤンを総司令とする南宋侵攻が始まると、慨然として「これこそ戦功を立て国に報いる時である」と述べて従軍の意思を表明した。これを聞いたサルギスはその忠義を嘉し、バヤンに対して自らの代わりにトゥルミシュを用いるよう推挙した。バヤン軍に加わったトゥルミシュは兵を陽邏堡に進め、丁家洲の戦いで南宋軍を大敗させた時には逃れる賈似道を先鋒として追撃している。その後、孫虎臣を焦山の戦いで破り、常州を攻略した功績などにより断事官(ジャルグチ)とされた[3]

南宋の平定後にトゥルミシュは安豊路ダルガチとされたが、行省がトゥルミシュの廉直さ・有能さを評価したことにより処州路ダルガチに移った。この頃、まだモンゴルの支配を拒む旧南宋民も多かったが、トゥルミシュはその都度単騎で現地を訪れて民を説得し、兵を用いて血を流させることがなかった。このような慈悲ある行動によりトゥルミシュは現地の人々より「四哥仏子」と称されたという[4]

日本遠征が計画された時には征東都元帥に任じられたが、丞相アタカイ・李牢山らと意見が対立し職を辞したものの、結局はアタカイらによる遠征は失敗に終わった[5]。この頃、盧世栄がトゥルミシュを参知政事に任じて自らの側近にしようとしたが、やはりトゥルミシュはこの申し出を断った。果たして、盧世栄は後に罪を得て誅されることになった[6]

その後、同知浙東宣慰使司事に移ったが、東陽の賊の楊震龍が叛乱を起こしたことにより江浙地方が荒廃し、この地方を重視する朝廷により江浙行省郎中とされた。また、権臣のサンガがこの方面の権益を欲して援助を申し出ているが、断っている。更に太平路ダルガチに移ったが、この頃南宋平定の功労者である高興史弼・河南王ブリルギテイらはトゥルミシュに敬意を払って兄に対する礼儀で以て接したという[7]

トゥルミシュはクビライからも大いに信任されていたが、広西憲使を最後の職として亡くなった[8]

高昌偰氏

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脚注

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  1. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「十子。長曰益弥勢普華、次曰都督弥勢普華、曰懐朱普華、曰都爾弥勢、曰八撒普華、曰旭烈普華、曰各尚、曰合剌普華、曰独可理普華、曰脱烈普華」
  2. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「都爾弥勢、初従撒吉思討李璮、以功奏為行省郎中、継除博興沂州監都」
  3. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「会丞相伯顔督諸軍取宋、慨然曰『吾世受上恩、此立功報国之秋也。吾其従戎乎』。撒吉思嘉其忠、謁丞相挙以自代。乃与従子撒里蛮倶隷丞相麾下、与攻襄樊、進兵陽邏堡、順流至丁家洲。宋相賈似道出視師迎戦奔潰、都爾弥勢為前鋒、引大軍乗勢逐北。与宋殿帥孫虎臣戦于焦山、破之。陞蔣安撫翼監戦、復攻常州、得擢陞断事官」
  4. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「江南既平、擢安豊路逹魯花赤、行省以其廉能署処州路逹魯花赤。時新附之民懐携阻兵、毎単騎招降、兵不血刃。人以四哥仏子称之。後見平章阿合馬窃柄張甚恥為詭随居閑養晦」
  5. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「五年、日本之役以為征東都元帥、又与丞相阿塔海・李牢山等異議、辞行巳而。阿塔海等果敗」
  6. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「運使盧懋以言利擢中書右丞、欲引為参知政事、知懋不可与共事亦辞不拝、後懋果以罪誅」
  7. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「遷同知浙東宣慰使司事。東陽賊楊震龍作乱、郷民或為賊応卒討平之。朝廷以江浙財計至重、命為行省郎中、及桑葛当国屡欲援為助固謝不就。遷太平路逹魯花赤、同時平南大臣如丞相蒙古台・高興・国公史弼・河南王卜隆吉台皆以兄礼事之」
  8. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「一時善辞命、都爾弥勢与阿里斉名行省几有入奏必命之。往毎至上前開陳、是非得失披析解駮如指諸掌。上嘉賞曰、惟卿及阿里言事能称。朕意爾阿里後秉鈞衡、而都爾弥勢官止広西憲使、卒」
  9. ^ B.Ögel 1964 p.152

参考文献

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  • Bahaeddin Ögel. "Sino-Turcica: çingiz han ve çin'deki hanedanĭnĭn türk müşavirleri." (1964).
  • 安部健夫『西ウイグル国史の研究』彙文堂書店、1950年
  • 新元史』巻136列伝33岳璘帖木児伝
  • 蒙兀児史記』巻45列伝27岳璘帖木児伝