偰文質

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偰 文質(せつ ぶんしつ、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えたウイグル人の一人。

概要[編集]

偰文質の祖先は代々国相を輩出した天山ウイグル王国の名家で、先祖の居住していた「偰輦傑河(=セレンガ川)」に因んで「偰」を姓とするようになった一族であった。ブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)の治世の延祐年間、広徳路総管、潭州路総管、贛州路総管、同知宣慰司事、副都元帥、吉安路ダルガチを歴任した。

孫の偰遜恭愍王の時代に高麗に帰化した。慶州偰氏一族は、数名の文科合格者や判三司事・礼曹判書・集賢殿副提学などを輩出しており、高麗時代末期から李氏朝鮮時代初期における名門一族であった[1]

高昌偰氏[編集]

[2]

脚注[編集]

  1. ^ 岸本美緒宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、17頁。ISBN 4124034121 
  2. ^ B.Ögel 1964 p.152

参考文献[編集]

  • Bahaeddin Ögel. "Sino-Turcica: çingiz han ve çin'deki hanedanĭnĭn türk müşavirleri." (1964).
  • 安部健夫『西ウイグル国史の研究』彙文堂書店、1950年
  • 元史』巻193列伝80忠義1合剌普華伝
  • 新元史』巻136列伝33岳璘帖木児伝
  • 蒙兀児史記』巻45列伝27岳璘帖木児伝
  • 圭斎集』巻11高昌偰氏家伝