トマス杯
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(トマスカップから転送)
トマス杯、トマスカップ(Thomas Cup)は、男子バドミントンの国別対抗戦である。
同大会の名称は、20世紀初頭の名選手だったジョージ・トマス(国際バドミントン連盟(IBF)初代会長)にちなんだ。現在、同大会はIBFから2006年9月に改名された世界バドミントン連盟(BWF)により運営され、女子のユーバー杯と並ぶ国別の団体世界選手権とされている。
大会の流れ
[編集]- 各国から4名から10名の選手が選出されてチームを構成し、シングルス3試合とダブルス2試合の計5試合のうち3試合に勝ったチームの勝利となる。
- 1度の対戦において、1人の選手が出場できるのはシングルス1試合とダブルス1試合まで(それ以上の重複は認められない。)。
- グループリーグではチームの勝敗が決しても5試合すべてを行い、トーナメントではどちらかのチームが3勝して勝敗が決した時点でそれ以降の試合は行われない。
開催方式
[編集]同大会の開催方式は以下のように大きく変化している。以下、決勝大会での対戦方式の変遷を記す。
- 2. 第2-7回 - 各大陸ゾーン予選を勝ち抜いた4か国(第2回は3か国)によるトーナメント制のインターゾーンプレーオフを行い、その勝者が前回優勝国とチャレンジラウンド(決勝戦)で対戦。
- 3. 第8-12回 - 各大陸ゾーン予選を勝ち抜いた4か国(第10、12回は5か国)に前回優勝国を加えた5か国(同6か国)によるトーナメント制のインターゾーンプレーオフ。
- 4. 第13-20回 - 各大陸ゾーン予選を勝ち抜いた6か国に前回優勝国と開催国(第14回はインドネシアが重複)を加えた8か国による決勝大会のグループリーグ(2組、各4か国)を行い、各組上位2か国による準決勝・決勝(トーナメント、第13-16回は3位決定戦も実施)。この時から1戦ごとに全5試合の対戦となる(第18回のみ、決勝戦はどちらかが先に3勝した時点で打ち切り)。開催は3年に1度から2年に1度、女子のユーバー杯と同時開催へ変更(第13回トマス杯と第10回ユーバー杯、以下同)。
- 5. 第21-23回 - 準決勝・決勝は先にどちらかが3勝した時点で打ち切り。
- 6. 第24-27回 - 各大陸ゾーン予選を勝ち抜いた10か国に前回優勝国と開催国(第24回は中華人民共和国が重複)を加えた12か国が参加。4組、各3か国でのグループステージを行い、各組1位が準々決勝に進出。各組2位は各組3位とプレーオフを行い、その勝者が準々決勝に進出して、各組1位と対戦。
- 7. 第28回大会は各大陸予選を行わず、シングルス、ダブルスの上位選手の世界ランキングポイントを集計した国・地域別のチームランキング上位16ヶ国(地域)が参加する方式に変更。4チームを1グループとした4グループに分かれて予選リーグを行い、それぞれ上位2チームが準々決勝以降のトーナメントに進出。
- 8. 第29回大会以降は各大陸ゾーン予選を勝ち抜いた11か国(アジアとヨーロッパは各4、アメリカとアフリカとオセアニアは各1)に前回優勝国と開催国、大陸ゾーン予選敗退国のうちシングルス、ダブルスの上位選手の世界ランキングポイントを集計した国・地域別のチームランキング上位3か国(予選通過国に出場辞退や重複が発生した場合は増枠)を加えた16か国が参加。
各大会の記録
[編集]- 過去31回の大会での優勝は、インドネシアが14回、中国が10回、マレーシア5回(うちマラヤ連邦3回)である。1950年代後半からはインドネシアが圧倒的に強かったが、1980年代に入るとIBFに加盟した中国が王座を奪った[13]。1990年代にはインドネシアが盛り返したが、2004年からは中国が5連覇している。2014年大会では準決勝で中国の6連覇を阻んだ日本が初優勝。
- 2012年開催の武漢大会を含め、トマス杯の会場は大半がアジアであり、それ以外の開催は欧州のイングランド2回とデンマーク1回のみである[14]。1967年大会は自国の劣勢に怒ったインドネシア人観客の妨害と、その制止を拒否したインドネシア当局のせいで大会続行が不可能となる事態となった。これは、インドネシアではスカルノ大統領による反マレーシア政策が進められていた上、1965年の9月30日事件でそのスカルノが事実上失脚して大量虐殺が発生するなど、極端な政情不安が続いていたという背景がある。
脚注
[編集]- ^ 当時のイギリス領植民地。現在のマレーシアのうちマレー半島に当たる部分。
- ^ 第2-7回はインターゾーンプレーオフ決勝での敗退国。第8-12回はインターゾーンプレーオフ準決勝での敗退国(3位決定戦はなし)。第13-16回は準決勝敗退国同士で3位決定戦を実施したが、第17回以降は廃止。
- ^ IBFにはイギリスからイングランド・ウェールズ・スコットランドの3地域が独立した協会として加盟し、現在のBWFに引き継がれている。
- ^ 同年10月の東京オリンピックの5ヵ月前に開催された。
- ^ マレーシアが4-3とリードして迎えた第8試合の途中で、インドネシア人観客による妨害のため試合続行が不可能と判断され、残り2試合でマレーシアの勝利が宣告された。
- ^ 同年、初めてバドミントンがオリンピックの正式種目とされたバルセロナオリンピックの3ヵ月前に開催。
- ^ この大会は、決勝戦のみ一方が3勝した時点で打ち切り。
- ^ 香港はイギリス植民地の独立協会としてIBFに加盟し、1997年の中国返還後も独立した協会組織を維持して、現在もBWFに加盟。
- ^ IBFが参加国数の計算方法を変更し、以後は本大会出場国のみをカウント。
- ^ グループリーグとプレーオフは仙台市体育館で開催。準々決勝以降は東京体育館で開催。
- ^ 各大陸の予選参加国は74(予選免除の中国(前回優勝)と日本(開催国)を除く)。
- ^ ヨーロッパ予選はヨーロッパ団体選手権で代替し、その上位3か国(デンマーク・イングランド・ドイツ)が本大会に出場。
- ^ 中国は自らの加盟問題を巡り、1978年に友好国の協会とともに世界バドミントン連盟(WBF)を作ってIBFの分裂を招いたが、1981年に再びIBFへ統合され、中国はIBFに加盟してトマス杯とユーバー杯への参加が可能になった。
- ^ 一方、個人戦である世界選手権は2011年までの19回中、アジアでの開催は4回のみで、13回が欧州での開催となっている(他に北米で2回)。