トレポレモス (将軍)
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トレポレモス(希:Tληπoλεμoς, ラテン文字転記:Tlepolemos, 生没年不明)は、マケドニア王アレクサンドロス3世に仕えた将軍である。
トレポレモスはピュトファネスの子でヘタイロイの一人であり、東征時にアレクサンドロスによってパルティア人とヒュルカニア人を統治する太守としてパルティア人のアムニナペスと共に任じられた[1]。その後、カルマニア太守シビュルティオスがアラコシアとゲドロシアの太守に転任したため、トレポレモスはその後任に任命され[2]、紀元前323年のアレクサンドロスの死に際して開催されたバビロン会議、紀元前321年のトリパラディソスの軍会にてその地位を維持した[3][4]。
紀元前317年に勢力拡大を目論んでパルティアに侵攻したメディア太守ペイトンとペルシス太守ペウケスタス率いる東方太守連合軍が戦い、ペイトンを破った。トレポレモスはこの時は東方太守連合軍の一人として戦った[5]。その後、トレポレモスはエウメネスとアンティゴノスの戦いに他の東方の太守と同様にエウメネス側で参加し、紀元前317年のパラエタケネの戦いではカルマニア騎兵を率いて戦った。ガビエネの戦いの後、味方の裏切りによってエウメネスがアンティゴノスに引き渡された。その時、かねてトレポレモスは所領を良く治めて多くの支持者がいたために、アンティゴノスによって所領を安堵された[6]。その後トレポレモスがどうなったかは不明である。
脚注
[編集]参考文献およびサイト
[編集]- アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』 大牟田章訳、岩波文庫(上下)、2001年
- ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』 合阪學 訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年
- ディオドロス『アレクサンドロス大王の歴史』 森谷公俊 訳註、河出書房新社、2023年。完訳版
- Bill Thayer's Web Site ディオドロス『歴史叢書』の英訳サイト