トーマス・ヒックス
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セントルイスオリンピックにて | |||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | トーマス・ヒックス | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 男子マラソン | ||||||||||||||
所属 | Cambridgeport YMCA (Young Men's Christian Association) | ||||||||||||||
生年月日 | 1876年1月11日[1] | ||||||||||||||
生誕地 | イングランド、ウェスト・ミッドランズ、バーミンガム[2] | ||||||||||||||
没年月日 | 1963年12月2日[1] | ||||||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
身長 | 168cm | ||||||||||||||
体重 | 60kg | ||||||||||||||
自己ベスト | マラソン:2時間39分04秒(1904年) | ||||||||||||||
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トーマス・ヒックス (Thomas J. Hicks, 1876年1月11日- 1963年12月2日) は、イギリス出身のアメリカ合衆国の陸上競技選手である[1]。1904年のボストンマラソンで2位となり、1904年セントルイスオリンピックのマラソンで金メダルを獲得した。
経歴
[編集]イングランドのバーミンガム生まれで、後にアメリカ合衆国に移住した[2]。マサチューセッツ州のケンブリッジに定住して、真鍮加工の労働者として働いていた。
セントルイスオリンピックのマラソン競技は40度近い猛暑の中で31選手が参加して行われた[3][4]。1着でゴールインしたのはアメリカのフレッド・ローツであったが、途中区間を自動車で移動するという不正があったため、1時間遅れの2着でゴールインしたヒックスが金メダルを獲得した[4][5][6]。
しかし、ヒックスも現在では禁止薬物とされているストリキニーネとブランデーを摂取していた。彼は1mgのストリキニーネを1服摂取したがあまり長続きしなかったためもう1服した。その結果として、棄権せずにゴールテープを切ることができ、ローツの失格で繰り上がりの金メダルとなったが、もしもう1服していたら命にかかわっていた可能性がある。
脚注
[編集]- ^ a b c 生年月日については、1875年1月7日説あり。死亡年月日は、外部リンク(Sports Reference.com)及び英語版の2 June 2013 at 19:52.では「不明」と記述されている。
- ^ a b Olympic Athletes Born in Birmingham, West Midlands, Great Britain[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2014年1月5日閲覧。
- ^ “「キセル・マラソン」発覚=第3回セントルイス(1904年)”. 2015年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月10日閲覧。
- ^ a b Athletics at the 1904 St. Louis Summer Games:Men's Marathon[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine. 2014年1月5日閲覧。
- ^ JOC - オリンピックの歴史(2) 近代オリンピックの始まり
- ^ “第3回セントルイス大会-前代未聞!「キセル・マラソン事件」”. 2014年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- トーマス・ヒックス - 国際オリンピック委員会
- トーマス・ヒックス - オリンピックチャンネル
- トーマス・ヒックス - Olympedia
- トーマス・ヒックス - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ