ドー・ムオイ
ドー・ムオイ Đỗ Mười 杜𨑮 | |
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ドー・ムオイ(2008年撮影) | |
生年月日 | 1917年2月2日 |
出生地 | フランス領インドシナ、ハノイ市タインチ県 |
没年月日 | 2018年10月1日(101歳没) |
所属政党 |
インドシナ共産党 ベトナム労働党 ベトナム共産党 |
在任期間 | 1991年6月27日 - 1997年12月29日 |
国家評議会議長 →国家主席 |
ヴォー・チ・コン レ・ドゥック・アイン チャン・ドゥック・ルオン |
在任期間 | 1988年6月22日 - 1991年8月8日 |
国家評議会議長 | ヴォー・チ・コン |
ドー・ムオイ(杜 𨑮、ベトナム語:Đỗ Mười / 杜𨑮、1917年2月2日 - 2018年10月1日)は、ベトナムの政治家。本名はグエン・ズィ・コン(Nguyễn Duy Cống, 阮維貢)。第3代ベトナム社会主義共和国首相や第4代ベトナム共産党中央執行委員会書記長を務めた。
経歴
[編集]ドー・ムオイは1917年、ハノイの農家に生まれた。漆職人や左官をしたという[1]。1939年、インドシナ共産党に加入。1941年、フランス植民地当局に逮捕され、禁固10年の判決を受けるが、1945年に脱獄[1]。
その後、ハドン省党委員会書記、ハナム省党委員会書記、ナムディン省主席兼党委員会書記、第3連区党委員会委員兼ニンビン省党委員会書記を歴任。1952年、ベトナム労働党第2回党大会において党中央委員候補に選出。1955年、ハイフォン市党委員会書記兼軍政委員会主席に任命。同年3月、党中央委員に昇格した[2]。
1958年4月、ファム・ヴァン・ドン内閣の商業相に任命[3]。1960年9月の第3回党大会において中央委員に再選出[4]。1961年1月、商業相を解任[5]。1967年から1968年、国家物価委員会主任、政府監察団団長。1969年から1973年、副首相兼国家基本建設委員会主任。1973年6月14日から1976年、副首相兼建設相。
1976年、南北統一後も、引き続き政府副首相を務める。同年のベトナム共産党第4回党大会において党政治局員候補に選出[6]。1978年1月20日、私営商工業改造委員会委員長を兼務し、南部における工場や商店の国有化・集団化を指揮した[7][8]。
1981年、第7期第1回国会で、閣僚評議会副議長(副首相)。1982年3月、第5回党大会において、政治局員に選出。政治局序列第4位[9]。1983年9月、国家エネルギー委員会委員長を兼務。1986年、第6回党大会において政治局員に再選[10]。
1988年6月、ファム・フンの急逝による後継争いでヴォー・ヴァン・キエットに競り勝ち、第8期第3回国会において閣僚評議会議長(首相)に選出。
1991年6月27日、第7回党大会において、改革派のグエン・ヴァン・リンに代わり、ベトナム共産党中央委員会書記長に選出。北部の保守派、特に軍に対して声望があり、また調整型の人物であることから、改革派も受け入れられたことが選出の理由とされる[11][12]。
1992年7月、第9期国会議員選挙において、ハノイ1区からの立候補で当選。しかし、得票率は80.29%で、必ずしも人気は高くなかった[13][14]
カンボジア和平協定調印から2週間後の11月15日、高級代表団を率いて訪中し、中国の最高首脳と会談して中越の国交正常化を確認した[15]。
1997年12月29日、第8期党中央委員会第4回総会において書記長を退き、レ・ドゥック・アイン、ヴォー・ヴァン・キエットとともに、党中央委員会顧問に就任。2001年4月、第9回党大会において党顧問職が廃止され、引退した。
2018年10月1日、101歳で死去[17]。
脚注
[編集]- ^ a b 坪井(1994年)、174ページ
- ^ 第2期党中央執行委員会(1951-1960)
- ^ 拡大政府(第1期国会第5-10回会議)
- ^ 第3期党中央執行委員会(1960-1971年)
- ^ 第2期国会期政府(1960-1964年)
- ^ 第4期党中央執行委員会(1976-1982)
- ^ 木村(2004年)、128-129ページ
- ^ 木村(1994年)、62ページ。それまでの商工業責任者はグエン・ヴァン・リン政治局員であったが、彼のやり方は手ぬるいと判断された(62ページ)らしい。
- ^ BAN CHẤP HÀNH TRUNG ƯƠNG ĐẢNG KHOÁ V (1982-1986)
- ^ BAN CHẤP HÀNH TRUNG ƯƠNG ĐẢNG KHOÁ VI (1986-1991)
- ^ 坪井(1994年)、175-177ページ
- ^ BAN BÍ THƯ TRUNG ƯƠNG ĐẢNG KHOÁ VII (1991-1996)
- ^ 村野(1992年)、193ページ
- ^ 「第9期国会議員選挙(1992年7月19日)結果」(参考資料5)『アジア動向年報』、212ページ
- ^ 木村(2002年)、4ページ
- ^ BAN CHẤP HÀNH TRUNG ƯƠNG ĐẢNG KHOÁ VIII (1996-2001)
- ^ “Vietnam’s former General Secretary Do Muoi dies aged 101”. VnExpress. (2018年10月2日) 2018年10月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 木村哲三郎,「冷戦末期のベトナム・旧ソ連関係」『アジア研究所紀要』亜細亜大学アジア研究所、第21号 p.168-118、1994年, ISSN 03850439
- 木村哲三郎「第1章 機会と挑戦の時代―ヴィエトナム・ラオスの国際環境」『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス―新たな課題への挑戦―』第46巻、日本貿易振興会アジア経済研究所、2002年、1-23頁、ISBN 9784258260256。
- 木村哲三郎,「ドイモイの政治的側面(2)」『南北朝鮮統一はどうなるか(2)』亜細亜大学アジア研究所、2004年[リンク切れ]
- 坪井善明,『ヴェトナム―「豊かさ」への夜明け』岩波新書、1994年
- 村野勉「1992年憲法を公布 : 1992年のベトナム」『アジア動向年報 1993年版』、アジア経済研究所、1993年、[191]--222、ISBN 9784258010936。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、ドー・ムオイに関するカテゴリがあります。
- ベトナム通信社による履歷
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