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ニコライ・ツィスカリーゼ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ニコライ・マクシモヴィチ・ツィスカリーゼロシア語: Николай Максимович Цискаридзе; グルジア語: ნიკოლოზ ცისკარიძეNik'oloz Cisk'aridze)はロシアのバレエダンサー、バレエ教師。ロシア連邦人民芸術家。1992年にボリショイ・バレエ入団。2014年からワガノワ・バレエ・アカデミー校長。

経歴

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生い立ち

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2008年

1973年ソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国の首都トビリシ物理学者の母ラマラ・ニコラエヴナ・ツィスカリーゼのもとに生まれる。母は出産当時42歳で、オブニンスク原子力発電所で働いており、のちにトビリシ第162番学校の教師になった[1]

父親が誰であるか知らずに育ったが、母が亡くなって5年後、おばによって父の名を知ることとなり、20年に渡り隣人だったバイオリニストと異母兄弟であることが判明[2]

活動歴

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1984年、トビリシ・バレエ学校に入学。

1987年、母の後押しでモスクワに送られボリショイ・バレエ・アカデミーに編入。ヴラジーミル・マラーホフらを育てた名教師ピョートル・ペストフに師事[3]

1992年にアカデミーを卒業した後は、ユーリー・グリゴローヴィチに認められボリショイ・バレエ団に入団。ソ連最高のバレリーナと謳われたガリーナ・ウラノワや、アグリッピナ・ワガノワの一番弟子マリナ・セミョーノワらに師事[4]

1995年、プリンシパル昇格[5]。以後、世界各国で活躍。ロシア国内でも人気を博し、ロシア版ダンシング・ウィズ・ザ・スターズなどの人気テレビ番組に多数出演するようになる。

2001年、最年少でロシア人民芸術家の称号を獲得。

2013年6月、ボリショイ劇場とのプリンシパルダンサー兼バレエ教師としての契約が終了すると、10月にはワガノワ・バレエ・アカデミー校長代理に就任。以後、後進の育成に専念。

暴行スキャンダル

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2013年1月17日、ボリショイ・バレエ団の芸術監督(当時)セルゲイ・フィーリンが何者かによって顔に硫酸をかけられる暴行事件が発生。2011年にフィーリンと芸術監督の座を争ったツィスカリーゼも事情聴取されたが、彼には事件当日に強力なアリバイがあった。

6月30日、ツィスカリーゼとボリショイ劇場の契約が満了。ツィスカリーゼは以前からボリショイが古典レパートリーを海外の現代作品に置き換えたことを公然と批判しており、そのため彼と彼の生徒たちは役を与えられないなど不遇をかこっていた[6][7]。またツィスカリーゼはボリショイ劇場の総工費500億円超にも及んだ大型改修工事を「昔は金箔だったのに今は金色のペンキで装飾されている」「バレリーナを持ち上げたら頭がぶつかりそうなほどリハーサル室の天井が低い」など相次ぎ批判、上層部と緊張関係にあった。

結局、ツィスカリーゼの生徒アンジェリーナ・ヴォロンツォーワと恋愛関係にあったソリストのパーヴェル・ドミトリチェンコが、暴行実行犯に犯行を依頼したとして6年の懲役となったが、ドミトリチェンコを慕う団員は多く、何者かか彼らの評判を落とすため仕組んだと考える者も多くあった[8]。そのためドミトリチェンコは刑期を終え再びボリショイ劇場への出入りが可能となっている。

公的地位

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2011年7月、大統領の文化芸術評議会のメンバーに任命される[9]

2013年10月ウラジーミル・メジンスキー文化大臣の推薦でワガノワ名称国立ロシアバレエアカデミーの校長代理に任命され、1年後の2014年11月、教授陣・学生・学校の食堂労働者などを含む244票のうち、賛成227票で校長就任[10] [11]

2014年モスクワ国立法律アカデミーロシア語: Московский государственный юридический университет(МГЮА)で法学修士号を取得。

2014年3月ロシアとウクライナとの軍事衝突に関し、ウラジーミル・プーチン大統領を支持する書簡に署名[12]

外部リンク

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参考文献

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  1. ^ Schulga, N. (2020年11月22日). “Николай Цискаридзе: "Чтобы выключить мозги, играю на компьютере"” (ロシア語). 'Trud' newspaper. 2020年11月24日閲覧。
  2. ^ Fedotova, V. (2020年3月21日). “"Похороны дольше месяца": Цискаридзе рассказал подробности о смерти матери” (ロシア語). Vechernyaya Moskva. 2020年11月24日閲覧。
  3. ^ Николай Цискаридзе: если меня решат убить на сцене, всё равно окончу партию” (ロシア語). Argumenty i Fakty (2014年4月11日). 2020年11月24日閲覧。
  4. ^ Brown, I. (2013年7月9日). “Bolshoi Ballet dismisses world star Nikolai Tsiskaridze” (英語). The Art Desk. 2020年11月27日閲覧。
  5. ^ Король балета” (ロシア語). Gazeta (2018年12月31日). 2020年11月24日閲覧。
  6. ^ Judith Mackrell (2013年10月29日). “Fired Bolshoi dancer Nikolai Tsiskaridze gets controversial new job”. The Guardian. 2017年1月4日閲覧。
  7. ^ Shuster, S. (2013-03-06). “Exclusive Interview: Did this Bolshoi Ballerina Inspire an Acid Attack?” (ロシア語). Time. https://world.time.com/2013/03/06/exclusive-interview-did-this-bolshoi-ballerina-inspire-an-acid-attack/ 2020年11月24日閲覧。. 
  8. ^ Mackrell, J. (2013年6月10日). “Bolshoi shows Nikolai Tsiskaridze the stage door” (英語). The Guardian. 2020年11月24日閲覧。
  9. ^ Медведев обновил состав совета по культуре и искусству” (ロシア語). RIA Novosti (2011年7月21日). 2020年11月24日閲覧。
  10. ^ Judith Mackrell (2013年7月22日). “Scandal rocked the Bolshoi this year when its artistic director had acid thrown in his face. Nikolai Tsiskaridze, the troupe's recently sacked principal dancer, tells Judith Mackrell why he thinks his injuries have been exaggerated”. The Guardian. 2017年1月4日閲覧。
  11. ^ Николай Цискаридзе избран ректором Вагановского училища” (ロシア語). Gazeta (2014年11月29日). 2020年11月24日閲覧。
  12. ^ Archived copy”. 2014年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月11日閲覧。