ノート:アデリーナ・パッティ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「訳注」について[編集]

この記事は他のページにはない非常に独特な形式で「訳注」がされているのですが、このやり方は色々と問題があると思うのです。まず第一にtemplate:仮リンクを用いない事で新たな記事作成機会が奪われている様に見えます。第二に訳注の内容が英語版の記事を参照しており、これでは精度確保のための出典を更に明記する必要に追われるのではないかという懸念があります。第三に、単純に予備知識がなければ理解できない不親切な文章であると感じたならば、直訳に拘るのではなく、適宜「訳注」にしている内容を本文に組み入れて素人が読んでも意味の通りやすい文章にするように便宜を図るべきだと思うのです。差し支えなければ、「訳注」の英語版リンクを仮リンクに差し替え、判りづらい固有名詞は本文中に解説を組み入れる形式に変更したいと思いますが、いかがでしょうか。--荒巻モロゾフ会話2012年12月18日 (火) 05:48 (UTC)[返信]

記事のお直しありがとうございます。私自身もこの「訳注:」形式は考えた末の苦肉の策として使用しています。今後のために、この機会にご意見を賜れればと存じ、以下にこの方式を取るに至った経緯について説明させていただきます。
  • まず第一に挙げられるのが、原語の表記を残しておきたいということです。今回も修正頂けたのは原語表記を残していた故であると考えております。当方、英文については苦手意識なく取り組めますが、他の言語は「さわり」程度のレベルしかなく、単語のカナ表記についてもネット等駆使してできる限り調べて書いておりますが、自信を持てない部分もあります。あいにく、私が集中して執筆しているクラシック音楽の分野は英語以外のカナ転写を要求される場面が多く(独、仏、伊、露、ポーランド等)、言葉の面での苦労が絶えません。そこで共同執筆であるwikipediaの特性を活かし、原語を残すことでその言語に造詣の深い方の協力を仰ぐ意図があります。この目的を達するためには仮リンクでも問題は生じませんが、仮リンクを用いていないことには、そもそもカナ転写が万全でないことと、以下の理由がございます。
  • 第二に挙げられるのが、できるだけ読者への便宜を図りたいということです。そのため、英文記事を翻訳するにあたってはできるだけ情報量を減らしたくないと考えております。その考えの下、翻訳活動を始めた当初はベートーヴェン(Beethoven)のようなリンクの貼り方をしておりましたが、記事によっては膨大な数このようなことが起こります。加筆を行っているフレデリック・ショパンでは既に70近くの単語に"注"を付けており、アルファベットに苦手意識のある方がその記事を開いた際、記事に溢れる異言語を見ただけで読むのを止めてしまうのではないかと懸念しました。かといって仮リンクや赤リンクだらけで真っ赤なページも無責任に思いました。なぜなら、結局読者は赤リンクからは情報を得ることが出来ないからです。実のところ、私も近く記事ができるであろう項目(他言語での記事数などから判断)や、自分が執筆する予定の項目に関しては仮リンク、赤リンクを使用していますが、例えばスウェーデンの田舎町の記事など、今後数年は誰も手を付けないと思われるようなものを赤くするのには疑問を感じました。また一方で、英語を読解できる人が得られる情報量と、それが出来ない人が得られる情報量の格差をできるだけ狭めたいと考えています。それが日本語版のWikipediaを作成する意義の根幹でもあると思うからです。かといって、記事の主題に直接関係ない事項に関して説明をし過ぎてしまうと、主題のぼやけた文章になってしまいます(このように括弧付きにすると尚更です)。そこで、記事を見やすくかつ情報量を減らさないために、定義だけでも記したらどうかということで、現在の方式に至ります。
  • 問題点に関しては次のような点が挙げられるでしょう。ご指摘の通り、新規立項を促す効果がなくなります。しかし、大義名分はともかく個人的には仮リンクのその効果に関しては疑問視しておりますが、実際どうなのでしょうか。出典の必要性に関してですが、実は付けている場合も少ないながらあります。また、「訳注:」を付する代わりにその項目を新規立項したとして、結局出典マークの付かない箇所については問題ないのではないかと考えます。継承の問題は生じるかもしれませんね・・・。他に、立項が進み「訳注:」が不要になった際に処理が面倒であることが気になっています。後に処理をして下さる方のお手を煩わせるのは、心苦しいものがあります。手間としては仮リンクを普通のリンクに張り替えるのと、あまり変わらないでしょうか。
以上私の考えを文章にしてみて気づきましたが、利点は主に読者視点、欠点は主に執筆者視点になるように思いました。私自身、「訳注:」形式にさほど強いこだわりを持っているわけでもございませんので、Wikipediaのルールから、またその他様々な観点からご指摘、ご提案ございましたら、参考にし、今後の執筆に取り入れさせていただきたく思います。この記事に関して、荒巻モロゾフ様ご提案の形に体裁を整えていただくことに関しては、異論はございません。その場合、もし独自出典を参照できないのであれば、他言語版のWikipediaからの情報を記載することになるのでしょうか。未熟者にて編集の良し悪しについてまだ独自で判断しきれない面がありますので、ご教示いただければ幸いに存じます。--Ponruy会話2012年12月20日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
返答ありがとうございます。原語表記や予備知識など読者への便宜を図りたいというのはごもっともです。このサイトは百科事典を作るために存在している訳でありますから、単独のページだけで完成されたものではない訳なのです。そのため、仮にこのページだけで完璧に情報を持ってきたとしても、それはWikibooks向けの記事の作り方であってWikipedia向けではないと思います。
原語表記に関しては、記事を作成できるものは作成した先に任せ、方針上作成すべきでないものは括弧書きにするとよいと思います。中には仮名転写が不明な固有名詞もあるのでその場合は無理に独自研究せずに原語表記を裸で置く(他言語版に記事がある場合はそこへリンク)方が問題ないでしょう。
このサイトはウィキであり方針に賛同いただければ誰にでも編集をする権利が与えられていますので、どのようなマイナーな事項に関する記事が作られるかは予想が付かないものです。世の中には実に様々な興味を持つ人がいますから、リンク先を作成されるのを気長に気楽に待つか、待ちきれなければ自分で作成しても誰にも咎める権利はありません。
注した内容が蛇足か否かについては、仮にそこに出典を明記した時に記事の主題と関連のある資料なのかどうかで判断するべきでしょう。例えばこの記事、パーニーパト県がニューハンプシャー州やバーレーンと同程度の人口であることを示すためにそれぞれの統計資料を脚注にしていますが、このような文章は不適切でしょう。なぜなら当然これらの資料はこのインドの県とは関係のないものであるし、しかも発表済みの情報を合成した独自研究の一種だからです。この様にして、それが余計な考察なのか有用な追加情報なのかを見て取捨していくといいですよ。--荒巻モロゾフ会話