ノート:アルメニア第一共和国
改名提案
[編集]現在の本稿記事名「アルメニア民主共和国」が適当なものであるかについて、疑問に思います。
まず、吉村貴之氏[1]、高橋清治氏[2]、中島偉晴氏[3]、藤野幸雄氏[4]、リチャード・G・ホヴァニシアン氏[5]など研究者各氏、そして在ロシア日本国大使館(昨年末まで在アルメニア日本国大使館を兼轄)[6]の資料は、この政体の国名を単に「アルメニア共和国」としており、国名には「民主」が冠されていなかったのではないかとも思われます。少なくとも、管見の限りでは「アルメニア民主共和国」なる名称を日本語文献に見つけることはできませんでした。また、ロシア語版記事のノートにおける、セーヴル条約の文面や当時の紙幣上での表記についての指摘は[7]、この政体の正式名称が「アルメニア共和国」であるとする非常に説得的な根拠と考えられます[8]。
他方、他言語版での改名議論を見ますと、英語版ノートでは、"Democratic Republic of Armenia"(アルメニア民主共和国)の名称を使用するのが専門書ではない一方、"First Republic of Armenia"(アルメニア第一共和国)の名称が上記ホヴァニシアン氏を含めた多くの歴史家、そしてアルメニア政府や議会の文書により使用されている、との理由で2013年夏にDRAからFRAへの改名が実施されています[9]。ロシア語版においても2012年秋に、文献での用例を根拠として «Республика Армении»(アルメニア共和国)から «Первая Республика Армения»(アルメニア第一共和国)への改名が実施されています[10]。
さて、ここで日本語版においても改名が不可避的なものとして、その候補には次の2つが挙げられます。
- 英語版、ロシア語版(そしてペルシア語版)の記事名に倣った「アルメニア第一共和国」
- あくまでも正式な国名を基に、現代のアルメニア共和国との曖昧さ回避を図った「アルメニア共和国 (1918年-1920年)」
私個人としましては、1番目の「第一共和国」案を改名先として支持します。その理由として、この名称が英語、ロシア語、アルメニア語の資料で浸透していると思われること、そして日本語資料においても、上記吉村氏の研究群が採用する名称であることが挙げられます[1]。
その一方、「第一共和国」案に消極的な事実として、日本での研究においては吉村氏のほかに「アルメニア第一共和国」の名称を採用する方がいらっしゃらない(そもそも日本ではアルメニア研究者自体が僅少)こと、そしてその吉村氏も、「アルメニア第一共和国」は現在のアルメニアとの区別のために「便宜上採用したもの」で「術語として定着したものではない」と書かれていることが挙げられます[1]。
なお、諸言語版の記事名だけを見れば「アルメニア共和国 (1918年-1920年)」方式の括弧付き記事名が優勢のように見えますが、それらの記事名は本年1月にある一人の方が、議論もなく、導入部を修正することもなく、一斉に移動させた杜撰なものであり [4]、単純な数の優劣は考慮するに値しないと考えます。とはいえ、それら記事の元の名はいずれも「民主共和国」であり[11]、3言語版のみが採用する「第一共和国」は33言語版が採用する「民主共和国」に対し圧倒的劣勢であることは否定できません。
しかしながら、現時点においては日本の研究でその名称が浸透していないとしても、アルメニア研究が盛んなアメリカやロシアで使用される「第一共和国」名が今後広まってゆく可能性はある、と私は考えています。よって、本記事を「アルメニア第一共和国」へと改名することを提案させて頂きます。皆様のご意見をお待ちしております。(署名忘れ。上の投稿は2015年5月4日 (月) 13:50 のもの)--Arvin(会話) 2015年5月4日 (月) 14:44 (UTC)
- 済 反対意見を頂けませんでしたので、改名を実施させて頂きます。なお、その後日本語文献において「アルメニア民主共和国」の用例を1件見つけましたが[12]、この改名提案には影響しないものと考えます。--Arvin(会話) 2015年5月12日 (火) 13:16 (UTC)
脚注
- ^ a b c 吉村貴之「『アルメニア第一共和国』史再考 - アルメニア民族運動における2つの潮流」『年報地域文化研究』第2号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、1998年、255-271頁、ISSN 13439103、NAID 40005370123。
- ^ 高橋清治「ザカフカス――1918年夏」『歴史学研究』第409号、青木書店、1974年6月、1-13頁、ISSN 03869237、NAID 40003815238。
- ^ 中島偉晴、メラニア・バグダサリヤン編著『アルメニアを知るための65章』明石書店〈エリア・スタディーズ 74〉、2009年。ISBN 978-4750329895。
- ^ 藤野幸雄『悲劇のアルメニア』新潮社〈新潮選書〉、1991年。ISBN 978-4106004056。
- ^ Hovannisian, Richard G. (1971). The Republic of Armenia. Near Eastern Center, UCLA. Volume I: The First Year, 1918-1919. University of California Press. ISBN 978-0520019843など、The Republic of Armenia 四部作
- ^ アルメニア概観 (PDF) (Report). 在ロシア日本国大使館. 2014-04.
{{cite report}}
:|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ ru:Обсуждение:Первая Республика Армения#"Республика Армении" или "Демократическая Республика Армения"
- ^ にもかかわらず、フランス語版とアルメニア語版の記事には、かつて記事名が「アルメニア第一共和国」であったものが、正式名称であるという理由で「アルメニア民主共和国」へ移動されるという奇妙な履歴が存在します ([1], [2])。現在のところ、私にはこの理由は計りかねます。
- ^ en:Talk:First Republic of Armenia#Requested move
- ^ ru:Википедия:К переименованию/23 июля 2011#Республика Армении → Республика Армения (1918—1920)
- ^ クロアチア語版のみ、2014年12月に「民主共和国」から「第一共和国」へ移動された後 ([3])、前記のように「括弧付き」へ移動(いずれも議論なし)。
- ^ 佐原徹哉『中東民族問題の起源 - オスマン帝国とアルメニア人』白水社、2014年。ISBN 978-4560083765。